“鉄人”金本が阪神に残した、一塁への全力疾走:臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(5/5 ページ)
21年のプロ生活にピリオドを打ち、静かにバットを置いた金本知憲選手。ビジネスの世界で悩み、葛藤を抱く人たちにとっても、鉄人の生き様には何らかの打開策につながるヒントが隠されているに違いない。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
2007年にこの世を去った故島野育夫氏(元阪神特命コーチ)の追悼試合では手術した左ひざがまだ完治していないにも関わらず、首脳陣に出場を直訴して豪快な本塁打をスタンドへ叩き込んだ。試合後の金本は「本当は内野ゴロを打って島野さんへ一塁への全力疾走を見せようと思っていた」。この言葉は故人だけでなく阪神の全選手に向けた言葉だったのかもしれない。
「いやあ、とにかくすごい選手でしたよ。金本という男は……。彼のバットのグリップはいつも赤くなっていたのですが、あれはバッティンググラブの手のひらの部分の塗料と滑り止め用のバットスプレーの色がうつったもの。そんな状態になるまでバットを振り込んでいたということです。普通はバッティング練習を積み重ねても、そんな状態にはならない。一体、どれだけの数の素振りをしていたのか……。きっとその回数は天文学的な数字になるんでしょう」(阪神関係者)
そういえばスタメン出場していない時の金本が「赤バット」を持ったままベンチに座ってグラウンドを凝視している光景はよく見られた。選手生活の晩年は肩が衰え、控えに回ることが多くなっていたが「いつ何時でも試合に臨める」と準備し、戦う姿勢をムキ出しにしていたのだ。まさに最後の最後、自分の引退試合がゲームセットになる瞬間まで、彼はこれをルーティーンワークとして当たり前のように貫き続けていた。
最初はまったく注目されていなかった天才でも、なんでもないドロガメが死に物狂いの鍛錬によってスターダムにのし上がり、自らの名を球史に刻み込んだ。
為せば成る 為さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の為さぬなりけり(やればできる。やらなければできない。何事も、できないのは人がやらないからだ)――。これは江戸時代の大名・上杉鷹山の名言。金本もお気に入りの言葉だ。この鉄人の生き様には、ビジネスの世界で日々葛藤する人たちにとっても何らかの打開策につながるヒントが隠されているに違いない。
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