夜行列車はなぜ誕生し、衰退したのか:杉山淳一の時事日想(4/5 ページ)
先週末、地方紙「河北新報」Web版が発信したニュースがネット上を駆け巡った。寝台特急「あけぼの」廃止だ。1970年代に全盛期を迎えた寝台列車は衰退の一途。しかし、夜行列車は新たな時代を迎えたといえる。キーワードは「付加価値に見合った対価」だ。
夜行列車はなぜ誕生し、なぜ衰退したか
夜行列車のメリットはなにか。もっとも多く挙げられる意見は「飛行機や新幹線の最終便が出たあとに乗って、飛行機や新幹線の始発より早く着く」だ。「あけぼの」が秋田で人気だった理由も、東海道新幹線が開業したあとに東京―大阪間で寝台急行「銀河」が走り続けた理由もそうだ。次に「旅情があるから」だろうか。日常から旅へ切り替わるスイッチとして、夜行列車の風情が効果的だ。このスイッチは空港や旅客機にも当てはまる。
しかし、「夜出発して朝着く便利さ」と「旅情」は、もともと夜行列車の役割ではなかった。鉄道会社が夜行列車を運行した最初の理由は、「当時の列車の速度では、目的地まで昼も夜も走り続ける必要があった」からだ。東海道本線が全通した1889年、東京と神戸の直通列車は20時間以上もかかった。それでも船より速かった。1912年に新橋―神戸間の急行列車を下関へ延長した時は、新橋駅8:30発、神戸駅21:15着、同駅21:20発、下関駅9:38着だった。東京から欧州まで、鉄道と船を乗り継ぐ行程がアタリマエだった時代である。
鉄道会社が夜行列車を運転する2番めの理由は「昼間の線路に空きがなかった」からだ。日中の長距離列車の輸送量では足りない。あるいは通勤など近距離列車で線路がいっぱいだ。これ以上、日中に増発できない。ならば長距離列車は夜に走らせよう。この考えは現在の貨物列車にも通じる。
そして、このころから利用者にとって「日中を移動で使うよりも、夜行のほうが効率的」という選択肢が生まれた。さらに乗客の要求は高まる。当初の夜行列車は座席だけだった。よく眠りたいからベッドがほしい。食堂車もほしい。当時の国鉄はこの要求に答えて、寝台車や食堂車を提供した。
東京と大阪に電車特急「こだま」が走った時、夜行特急用として冷房付きの20系寝台車が投入され、「動くホテル」と言われた。このあたりから、夜行列車の旅情、風情を楽しむ需要が増えていった。
その後、鉄道需要の下降とともに夜行列車の人気も下がる。ここで本来は「需要が落ちてきたから本数を減らす」という選択もできたはず。ところが国鉄の赤字が問題になり、運賃の値上げで世論からの風当たりが強まった。そこで国鉄は夜行列車のイメージアップのために3段ベッドを2段ベッドに、寝台の幅も広く、とサービス向上に着手する。そして狙い通りにブルートレインブームが起きた。当時の運輸大臣は赤字体質を理由に「夜行列車全廃論」を提案した。しかし、夜行列車はもはや「旅情の象徴」であり、国鉄内部や世論から猛反発を受けた。
寝台車の居住性向上は定員の低下を招いた。寝台料金は上がったけれど、列車全体の収入は下がった。ブルートレインは居住性と引き換えに利益率を下げ、その後30年以上も走り続けた。「夜も走るしかなかった列車」が、「旅情の象徴」となって、鉄道会社が夜行列車を運行する理由と乗客の価値観が違ってきた。それが夜行列車の立場を危うくしたと私は思う。
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