佐村河内氏を叩くメディアは、ゴーストライターだらけだという矛盾:伊吹太歩の時事日想(3/3 ページ)
「現代のベートーベン」と呼ばれた作曲家によるペテン師騒動を海外メディアはどのように報じているのか? 記事に寄せられる読者のコメントも読んでみると興味深い。
責めるべきはプレイヤーではない、ゲームそのものだ
佐村河内氏は、新垣氏にギャラを払う委託形態で、曲の構成やイメージを伝え、できあがった曲を「佐村河内守」というブランドネームから発表した。欧米のように堂々と委託契約を結んでいれば、ここまで糾弾されることはなかったのかもしれない。
ガーディアンのコメントにはこんなものもあった。「プレイヤーを責めるのではなく、ゲームそのものが責められるべきだ」。そのとおりだろう。ゴーストライターの問題については、佐村河内氏1人を責めるのではなく、業界やビジネス形態そのものをあらためて見つめ直す必要があるのではなかろうか。
日本で佐村河内氏を攻めたてているメディアにも、ゴーストライター文化は根付いている。業界内では公然の秘密だ。つまり日本のメディアも「同じゲーム」の中にいるのだ。
日本ではジャーナリストと名乗りながら、自分で書かない人がいる。その場合、著者と並んで「取材班」という署名が付くこともあるが、そうでないケースもある。ディレクションだけして、後はほとんど丸投げ。しかも、ディレクションさえ本人ではなく、担当編集者がやってしまうことがある。要するに佐村河内氏のゴーストライター問題と本質的にほとんど変わらない。
こんな話がある。かつて「新進気鋭」のジャーナリストが出版した本が話題になったが、このジャーナリストはほとんど自分で書いていないと噂になった。実際に著者の知人も、出版社からの依頼で取材してまとめたものが、ほぼそのまま、そのジャーナリストの新刊に掲載されたことがあったという。
これ以外にも、「自称」ジャーナリストが担当していたラジオ用「ニュース解説」の原稿を丸投げされていた知人もいる。このジャーナリストは収録直前に初めて原稿を読む。つまり、自分の名前で視聴者に伝えるニュース解説を他人に作らせ、直前までその内容も知らないのだ。ちなみにこの人物、メディアに登場しては、悪びれることなく嘘の実績を話すほどで、佐村河内氏と何ら変わらない。この手の話はごろごろしている。
今回の騒動で最大の問題は、佐村河内氏が実は耳が聞こえるのに全聾(ろう)であると装っていた可能性だ。事実だとすれば、耳が不自由な人たちに対してあまりに失礼であり、税金などの控除を不正に受けていたならば法に触れるだろう。これについてはしっかりと糾弾されるべきで、佐村河内氏にもその説明責任がある。
ただゴーストライター問題については、日本のメディア側に責めたてる資格はなさそうだ。何とも言えない複雑な思いでこの騒動を見ている日本のメディア関係者は少なくないはずだ。
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