復活「気仙沼ふかひれ丼」──寿司職人が特大フカヒレに込めた心意気がスゴイ:東北発! 震災から生まれた21世紀の逸品(1/4 ページ)
フカヒレの姿煮をゴーカイに盛り込んだ「気仙沼ふかひれ丼」が3年を経て復活した。震災前の1.5倍も大きくなった特大フカヒレ。再起した地元寿司職人の復興にかける意気込みが、どんぶりいっぱいにあふれていた。
「東北発! 震災から生まれた21世紀の逸品」とは
東日本大震災から3年が経った。Googleが主催する復興支援プロジェクト「イノベーション東北」(参照リンク)のメンバーは、被災地各地を歩き回り、500を越える事業者に出会ってきた。
彼らが手がける商品の中には、避難所から積極的な継承が始まった伝統的な手仕事や卓越した技術に裏打ちされた工業品、あるいは東北の自然に育まれた、東京では決して手に入らないような美味なる食べ物がある。本連載では、震災後に生まれた、こうした「知られざる逸品」を紹介するとともに、これらひとつひとつの商品が震災後どのように生まれ、あるいは創り直されてきたかを紹介していく。ナビゲーターは、イノベーション東北事務局・加藤小也香。
加藤小也香(グロービス出版局書籍編集長/イノベーション東北事務局)
1972年6月27日生まれ。慶応義塾大学環境情報学部卒、グロービス経営大学院経営研究科(MBA)卒。1996年より日経BP社記者として情報通信、流通、食品・医薬品等の企業取材を担当。ネット媒体や調査事業の開発、コンサルテーション業務等にも従事の後、2006年1月にグロービス入社。オンライン経営情報誌GLOBIS.JP編集長、グループ広報室長などを経て現職。RCF復興支援チームの広報アドバイザーも務める。共著書に『食品クライシス』ほか。Facebook(参照リンク)
「今年の“お誕生日ごはん”は何にしようかな?」
……と思っていた矢先に「気仙沼ふかひれ丼」の復活を知った。かつお節と昆布の和風だしをたっぷりと含ませたフカヒレの姿煮を、錦糸状のフカヒレとともに県産米の酢飯の上へ豪快に盛ったこのどんぶりについては、発表時(2010年7月)、何かで目にした記憶があった。
確か「サメの水揚げ量・日本一を誇る気仙沼市で、全国的に知名度の高いフカヒレを観光資源にもしていこうと地元の寿司店らが協働して開発」、「各店のメニューに『究極のふかひれ丼』として同時に露出し、市や観光協会などの後押しとともに積極的にPRしていく」みたいな内容だったと思う。聞けば、この発表からわずか3日で2000食を売り切り、関西や九州からも食通が訪れるなど、とても好調なスタートを切っていた。
ところがこの8カ月後、東日本大震災が発生した。気仙沼市は市全体の36%にも渡る約9500世帯が被災し、1354名の市民を失った。漁業、水産加工業への影響も著しく、漁船3565隻のうち約3000隻が流出、損壊し、38の漁港すべてが沈下。9割の水産加工場や冷凍工場が被災した。これら被害により、サメの水揚げ量は震災前の7分の1まで落ち込み、参加していた寿司店の多くも店舗に被害を受けたため、休止を余儀なくされてしまっていた。
そんな「気仙沼ふかひれ丼」が復活した。しかも酢飯に盛るフカヒレは、130〜150グラムと、震災前の約1.5倍の特大サイズにドカンと強化したのだという。「これぞ、お誕生日ごはんにピッタリなんじゃないか!」ということで、さっそく現地で食べてきた。
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