復活「気仙沼ふかひれ丼」──寿司職人が特大フカヒレに込めた心意気がスゴイ:東北発! 震災から生まれた21世紀の逸品(2/4 ページ)
フカヒレの姿煮をゴーカイに盛り込んだ「気仙沼ふかひれ丼」が3年を経て復活した。震災前の1.5倍も大きくなった特大フカヒレ。再起した地元寿司職人の復興にかける意気込みが、どんぶりいっぱいにあふれていた。
和風だしで炊いた特大フカヒレがどんぶり全体に
今回「気仙沼ふかひれ丼」(地域色をより濃く打ち出すため「究極のふかひれ丼」から改称した)は、現地14の寿司店で食べられる。気仙沼地区の「寿し処大政」「新富寿し」「ゆう寿司バイパス店」「ゆう寿司田谷店」「福助寿司」「巴鮨」「すし処和禅」「寿司処一心」「すし処鮨智」「すし屋の泰平」、唐桑地区の「食楽まるきん」「若葉鮨」、本吉地区の「鮨処えんどう」、南三陸町の「すし・丼ぶりの店くう海」だ。
一家全員が津波の犠牲になってしまった店、後継者の問題から廃業した店もあり、参加店舗は当初の19店舗から5店舗少なくなってしまった。ただ、店を再興して続けることを決めた職人は「全店が営業再開したら、またみんなであの“究極のふかひれ丼”をやろうな」と、より強い結束力で互いに励ましあってきた。2014年5月に最後の1店が再開。市場や水産加工会社の再建も進んで素材の調達めども立ったことから、今回の「復活」が決まった。
参加する全店が、和風だしで炊いた130〜150グラムの特大フカヒレをドカンと盛ることを基本ルールに、サメの皮を煮こごりにして合わせたり、青海苔をアクセントに活用する(新富寿し代表の鈴木真和氏)など、店ごとのアレンジで独自色も出している。
使われるフカヒレは、全長2〜3メートルのヨシキリザメのもの。国内で水揚げの多いサメは他にモウカザメもあるが、素材を提供する中華・高橋の高橋滉社長によると「ヨシキリザメは、姿煮にした時のカタチがきれいで日本人好み。金糸(1本1本の”繊維”をこう呼ぶ)の太さ、厚み、潤いあるゼラチン質感のバランスがよく、だしも含ませやすい」という。薄味の和風だしで煮含む気仙沼ふかひれ丼に適しているわけだ。
口に含むと……思わず「わっ! 何これ」
口に含むと、思わず「わっ、何これ」と声が出た。厚みや歯触りがしっかりとしている。これまで中華料理店で食べたフカヒレのとろりと崩れる感じとは異なる。どちらかというと、プリプリサクサクの食感だ。
口に広がる和風だしの懐かしい感じと、そこにかぶさる酢飯の力強さの相性もいい。敷かれた青シソや錦糸卵をアクセントに口中で調味をしてみたり、「せっかくの形を崩しちゃうのはもったいないけど……」などと言いながら、フカヒレの身をほぐし、繊維質の食感を楽しむのも、また気分が変わって楽しい。
どんぶりに添えられる、サメ肉と軟骨のつみれ入りのすまし汁もおいしい。弾力ある身肉は一切の臭みがなく、古くからカマボコやハンペンなどにこの魚を活用してきたこの地区の処理技術の高さを感じさせてくれる。
価格は店ごとに若干の幅はあるが、5000〜6000円程度にする。気仙沼寿司組合によると「都内で出したら1万円は下らない」というほどの素材だが、そこは心意気である。
各地の料理店に多くの食材を卸す中華・高橋の高橋社長も、「こんなどんぶりは他では絶対にできない。これを“復興の狼煙(のろし)”にして気仙沼の漁業や観光業再興に拍車をかけたいと集まった寿司店の大将たちは腹のくくり方が違う。覚悟が違う。その男気をどんぶりの上に表現したら、こんなサイズになってしまった」と話す。
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