世界の頂点に上り詰めた「タカラベルモント」のサクセスストーリーとは?:人に話したくなるコラム(1/3 ページ)
理容イス市場で、日本企業の「タカラベルモント」は世界トップのシェアを誇っている。約60年ほど前に米国へ進出したときには全くの無名だった「made in japan」の理容イスは、どのようにして世界トップに上り詰めたのだろうか。
著者プロフィール:
藤井薫(ふじい・かおる)
大学を卒業後、広告代理店や出版社を経てライターに。
『POPEYE』『an・an』(マガジンハウス)や『GLAMOROUS(グラマラス)』(講談社)などで、ファッション、ビューティ、ビジネスなど幅広い記事をカバー。日本と海外を頻繁に行き来して、海外トレンドを中心に情報発信している。
そんな思いをベースに、世界の企業動向や経営哲学をはじめ、それをとりまくカルチャーやトレンドなどを中心にして、思わず誰かに言いたくなるようなネタを提供していくコラムです。
米国シカゴにあるバーバーショップ「Hyde Park Hair Salon」には伝説となった椅子(いす)が置かれている。防弾ガラスで保護され、店の一角にディスプレイされているのは、常連だったバラク・オバマ米大統領が座っていたバーバーチェアだ。
クラッシックで美しいフォルムの革張りの椅子には、「BELMONT」とブランド名が刻印されている。日本企業のタカラベルモント社が手がけるブランドだ。
世界でも業界トップのタカラベルモント社の理容イスは「バーバーチェアのロールスロイス」などとも称される。約60年ほど前に米国へ進出したときには全くの無名だった「made in japan」の理容イスが、いかにして米国市場さらに世界のトップに上り詰めたのかを探ってみたい。
理容イスの生産を開始
1921年(大正10年)に鋳物(いもの)工場として創業したタカラベルモント社(創業時の社名は宝鋳造所)は、七輪の簾(す)や五徳(フライパンなどを置くための金属製の台のこと)などの日用品を作っていた。昭和になると、マンホールのフタや水道の止水栓など工業製品を手がけるようになる。
そして、他社との差別化のため、ホーロー技術を導入したことが最初の転機となった。当時、理容イスの脚部や側面の肘掛け部分などには、ホーロー鋳物が使用されていたため、理容イスメーカーから脚部の注文を受けるようになったのだ。すると、この注文が月に300台を超えるようになり、自社で理容イスを作ることに商機を見いだしたタカラベルモント社は、1931年に理容イスの生産を開始するようになる。
同社によると、自社製品を作る際に参考にしたのが、「帝国ホテルなど超一流とされた理容室などで使われていた、米国のトップメーカーであり世界の理容業界をリードする、コーケン社のバーバーチェアだった」という。その後、戦争という苦難を経験するが、戦争が終結するとどこよりも迅速に生産を再開し、その後順調に躍進を遂げて行く。
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