朝日やNHKが選ばれない時代に、私たちが注意しなければいけないこと:新連載・烏賀陽弘道の時事日想(2/4 ページ)
インターネットが勃興し、新聞やテレビといった旧型マスメディアが衰退しつつあると言われている。結果、何が変わったのか。筆者の烏賀陽氏は「ニュース・センターが消滅した」という。その意味は……。
「ニュース・センター」が消滅
こうした報道が持つ「社会が議論すべき論点を設定する機能」を「アジェンダ・セッテイング」という。だからかつては「社会人なら新聞くらい読まなければならない」という「常識」が成立した。逆にいうと市民は朝日なり日経の一面やNHKのニュースを見ておけば、次の日に何が話題になるか知ることができた。こういう「そこに行けば社会の関心が分かる中心地」を私は「ニュース・センター」と呼んでいる。
インターネットがマスメディアの主流になって、この「ニュース・センター」は消滅した。「ここに行けば社会の関心が分かる」というメディアがなくなってしまったのだ。基本的にネットユーザーは「見たい情報」を自分で取捨選択する。仕事の飲み会で「ダメよ〜ダメダメ」というギャグを聞けば、それをGoogleで検索し、お笑い芸人「日本エレキテル連合」を見つけ、動画をYouTubeで見る。そちらに時間を割く。
メディアが増え情報の流通量が増えても、人間には等しく1日24時間しかない。何かを選択すれば、何かが捨てられる。ブラウザ上では、朝日もNHKもエレキテル連合もフラットに等価である。いくら『朝日新聞』が「こちらのほうが重要なんだ」と力んでも、ユーザーが「朝日よりエレキテル連合のほうが時間を割く価値がある」と判断すれば、選んでもらえない。
こうしてユーザーがネットを通して見る「現実」は、限りなく「それぞれの関心や好みにカスタマイズされた現実」=「パーソナライズされた現実」に変貌していく。TwitterやFacebookといったSNSに至っては、誰をフォローするかによって流れ込んでくる情報が一人ひとり違う。つまり、案外気づかないが、SNSを通してみる「現実」は「一人ずつパーソナライズされた現実」なのだ。
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