六本木の水はキレイだった? ニッカウイスキーが麻布に工場:マッサンの遺言(2/2 ページ)
蒸溜所がある余市からウイスキーを運ぶには酒税がかかる。問題を解決するためにも関東に工場が必要になった。麻布という場所が選ばれたのは「関東というからには東京に建設しようではないか」という、政孝親父の提案によるものだった。
魔よけの狛犬をアレンジしたデザイン
この年の5月、政孝親父は洋酒業界における多大な功績により黄綬褒章を受けた。これを記念して有志から贈られた胸像が余市工場にあり、像は当時は社長室だった旧事務所のほうを向いて建てられている。いつだったか私が「原料やウイスキーを積んだ車が通りやすいように社長室を移転させたらどうか」と政孝親父に言うと「わしを邪魔者扱いするのか!」と半分冗談めかして叱られたことがあった。創業当時の事務所を社長室にしたものだったので、やはり想い出があったのであろう。今は町の文化財になっている。
6月には特級ウイスキー『ブラックニッカ』が、そして11月には2級ウイスキー『丸びんニッキー』が発売された。当時の『ブラックニッカ』にはおなじみのW・P・ローリー(※1)のイラストはなく、ニッカのラベルマークとロゴが配されたシンプルなものである。
最初、コルクを加工してつくる予定だったが、技術的にどうしても難しく、コルク風のデザインを施した紙のラベルになった。そこに赤い封蝋(ふうろう)が施されたラベルマークは一見イギリス貴族のエンブレムのようだが、よく見ると左右一頭ずつ中央を向いているのは魔よけの印でもある狛犬(こまいぬ)。中央の兜(かぶと)は山中鹿之助(※2)が使用した兜をあしらったもので武芸を意味し、NIKKAの文字周辺の元禄模様は文化を表している。これは政孝親父がスコットランドに留学したとき、王室に献上するウイスキーのエンブレムにライオンとユニコーンが描かれたのを見て、そこからヒントを得てデザインを考えたものであった。
※2 出雲国尼子氏の一族で、尼子経久の叔父・尼子幸久の代に山中氏を名乗る。1563年の毛利氏の出雲侵攻を迎え撃ち、世に名を馳せた。
ウイスキーブームの到来
世の中は戦後の混乱期がうそのように明るい活気に満ちていた。テレビ放送が始まったのもこの頃。『丸びんニッキー』の、ぬいぐるみの熊をモチーフにした白黒のテレビCMが放送され、売り上げはまさにうなぎのぼり。日本にウイスキーブームが到来したのである。
1957年には『ニッカベアー』(特級)を発売。熊の頭の形をしたキャップがついたもので、この年から変形瓶を用いたギフト商品が販売されるようになった。『クリスタル』『シェーカー型』『ドリーム』『グランド』『62型』『ボウリング』。いずれも個性あふれるデザインであった。
やがて急激な需要の伸びに対応するには麻布工場は手狭になってきた。1966年には『ハイニッカ』『ブラックニッカ』が好調で、年間売り上げが140億円を突破。1967年には、千葉県柏市に建設中であった工場が完成した。工場は柏に移転し、麻布のほうはしばらくの間、事務所として使用することになったのである。
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