370万人が参加したデモ行進が、うさん臭く感じる理由:窪田順生の時事日想(5/5 ページ)
フランスの週刊紙『シャルリーエブド』が襲撃され、12名の命が奪われた。罪のない一般市民に向けられた暴力は許せないが、その後のデモ行進などに対し、筆者の窪田氏は「うさん臭さを感じる」という。その理由は……。
押しつけがましい「自由」
戦時中、フランスの風刺画に登場する日本人は眼鏡で出っ歯と相場が決まっていた。さらに酷(ひど)いのになると、毛むくじゃらの猿として描かれる。まあそういう人種差別が残っていた時代はね、と思うかもしれないが、そうとも言いきれない。
つい一昨年、右寄りの週刊誌『ミニュット』の表紙に、黒人女性であるクリスティアーノ・トビラ法相が「トビラ、バナナを見つける」「猿のようにずる賢い」という見出しをつけて掲載された。
ここで誤解をしてほしくないのは、私はなにも「フランス人は差別主義者だ」とか言いたいわけではない。かの国でも人種差別撤廃を訴える人はたくさんいる。では、何が言いたいのかというと、欧米人が主張する「表現の自由」というのは理念としては非常に素晴らしいのだが、この「自由」というやつが時に「欧米人限定の自由」として暴走する危険性があるということだ。
今回の「私はシャルリー」にはその匂いがプンプンする。異なる価値観を持つ人たちに、どんなに理不尽な表現だろうが、「欧米人の自由」は認めなきゃダメですよという、なんとも押しつけがましい「自由」なのだ。もっと言えば、キリスト教の宣教師ではないが、「お前たち未開の異民族たちに、表現の自由というものを教えてやろう、目を開かせてやろう」という“上から目線”な感じがするのだ。
2006年のムハンマド侮辱キャンペーンのさなか、イスラエルの新聞『ハアレツ』は「長い迫害の歴史を持つユダヤ民族は、イスラム教徒の怒りに共感する」と言明し、その数日後にはレバノンの新聞が、「ユダヤ人ではなくイスラム教徒を標的とした新たなホロコースト(大虐殺)が起きようとしている」と警告した。
「私はシャルリー」というバッジをつけて、ザッザッと大行進をする欧米人にはバカも休み休みに言えとなるだろうが、かつて毛むくじゃらのサルと揶揄された我々には、この警告の意味するところがよく分かるはずだ。
「表現の自由を守ろう」と叫ぶうちはいいが、今回の事件で「表現の自由をふみにじるような連中は許せない」という空気ができあがっている。欧米社会が彼らの「自由」をふみにじる者たちを、どのようによってたかって葬り去ってきたのかというのは、過去の歴史を見れば明らかだ。
イスラム原理主義は人類にとって脅威だというが、「表現の自由原理主義」はもっと恐い。
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