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銀座で「異変」と呼ばれている女性は、“てっぺん”を手にしたのか仕事をしたら“銀座のママ”になった(後編)(1/5 ページ)

最年少&最短で老舗高級クラブのママになった桃谷優希さんは「3年以内にナンバーワン、その後2年以内にママになる」という目標を掲げて、それを手にした。順風満帆とも言えるが、その裏でさまざまな苦労があったという。それは……。

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仕事をしたら“銀座のママ”になった:

 座っただけで数万円、ボトルをキープすれば十万円を軽く超える……。バブル期には銀座だけで約3000軒ものクラブが軒を連ねていたと言われるが、バブル崩壊やリーマンショック、東日本大震災などを経て、その数は激減。クラブ業界が厳しい環境を強いられている中、“異変”が登場した。

 桃谷優希さん、26歳――。夜の銀座で働き始めて2年5カ月で、老舗の高級クラブのママに。バブル後、最年少&最短ママが誕生したことで、銀座の街がざわめき立っているのだ。

 そんなにスゴいことなの? 美人だったらママになれるのでは? と思った人もいるのでは。答えは、NOだ。銀座のママになれるのは、30代後半〜40代前半が多い。若くてかわいかったらなれる、という甘い世界ではなく、実績がなければ難しいのだ。

 そんな狭き門を、彼女はどのようにかいくぐって今の座を手にしたのだろうか。銀座のネオン街で働きながら、作家でもある桃谷さんに話をうかがった。聞き手は、Business Media 誠編集部の土肥義則。

 →なぜ彼女は、銀座のママに“最年少&最短”でなれたのか(前編)

 →後編、本記事


桃谷優希(ももや・ゆうき)さんのプロフィール:

 1988年10月16日大阪府生まれ。16歳のときに処女作『デリンタ(悪魔の子)と呼ばれた天使たち』(文芸社)でデビュー。このほか『国民の声』(文藝書房)に寄稿、『罪追人』(文藝書房)、今春『赦れる天秤』を刊行予定。

 京都ノートルダム女子大学卒業後、北新地のクラブへ。クラブ「城」閉店後、銀座に移籍。銀座40周年の老舗「クラブセントポーリア」でナンバーワンの座を手にして、その後26歳の誕生日に高級クラブのママに就任。


土肥: 桃谷さんは銀座で働き始めて、2年5カ月で老舗高級クラブのママに就任されました。この仕事をしていてつらいなあと感じることはありますか?

桃谷: お客さまとの“絆をつむぎきれなかった”ことですね。

土肥: 前回、銀座の女性は、お客さんとの絆をつむいでいく役割があると話されていましたね(関連記事)

桃谷: はい。せっかくいただいたご縁をつむげなかったときは、本当につらいですね。

土肥: 例えば、どんなことがあったのでしょうか?

桃谷: 接待の席では、その場の空気を読まなければいけません。商談相手がピリピリしているので、こちらは盛り上げたほうがいいのか。それとも、いい話がまとまりそうなので、こちらは黙っていたほうがいいのか。その場の空気を読んで、よかれと思ってやったことが裏目に出ることがあります。

 とある大手企業の社長が海外のお客さまと取り引きをするかどうか、というタイミングで来店されました。そのとき、海外のお客さまの誕生日が近いということを聞いていたので、こちらはプレゼントを用意しました。ケーキとネクタイを準備して、私から「社長からのプレゼント」という形でお渡ししたのです。しかし、海外の人はとても不愉快な表情をされた。あれ? どうしたんだろう? と思っていたら、その商談は破談になりました。

土肥: なにがあったのですか?

桃谷: その社長さまに「なぜ破談になったのですか?」と聞いたところ、海外の方から「商談中に、ケーキやネクタイといった“遊び”を入れるな! 仕事をなめているのか!」と怒られたそうです。このような結果を招いたのは、私の勉強不足。海外の方なので、その国のビジネスの慣習はどうなっているのか? やってはいけないことは何か? といった情報をもっともっと収集すべきでした。

土肥: 日本と全く逆の対応だったわけですね。


桃谷優希さん
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