ネットが“パンドラの箱”を開けた……テロの歴史とメディアの関係:烏賀陽弘道の時事日想(2/4 ページ)
過激派組織「ISIL(イスラム国)」が日本人の人質を殺害した。これまでも日本人が誘拐され、殺される事件はあったが、ISILが従来の武装組織と違うのは、マスメディアの使い方ではないだろうか。
記者に頼らなくても、ネットで情報発信
1985年6月14日金曜日にアテネ(ギリシャ)からローマ(イタリア)に向けて153人の乗客と乗員を乗せて飛行していたトランスワールド航空(TWA)847便がイスラム過激派(ヒズボラ・イスラム聖戦機構)を名乗る2人のテロリストにハイジャックされた事件も有名な例である。飛行機が着陸したベイルート空港の滑走路で、テレビクルーが機体に近寄り、取材を試みた。
テロリスト側はコックピットの窓を開け、機長をインタビューに応じさせた。隣ではテロリスト(覆面で素顔を出さないのが普通なのに素顔だった)が機長の頭に拳銃を押し付けたままだった。後に、この時テロリスト側は、テレビに絵になる姿を撮らせるために、リーダーではない10代の若者を選んで弾を抜いた拳銃を持たせ、渋る機長を「安全だから」と説き伏せて取材に応じさせたことを、取材したCNNのジム・クランシー記者が明らかにしている。
この時の機長とテロリストの写真は“Face of Terror”(「テロリストの顔」と「恐怖にひきつった顔」のふたつの意味がある)として有名になったが、実はテロリスト側の「メディア操作」だった。「マスコミは絵になる場面をほしがる」「それがあればニュースは世界に流れる」。そんなことまで、テロリスト側は計算して動いていた。
この時代は、取材記者たちはテロリストに近づいても危害を加えられることが少なかった。テロリストたちもマスメディアに載りたいという動機があったから攻撃しなかった。だから記者たちは中立的な、安全な立場でいることができた。
ところがビデオカメラが小型化して普及した1990年代以後、この様子が変化し始めた。テレビクルーを呼ばなくても、自分たちで人質や声明文をビデオ録画し、テレビ局や新聞社にテープやディスク(カード)を送ればそれで済むようになったからだ。
2000年を過ぎて、インターネットが普及すると、今度は写真やビデオ、主張文はWebサイトに載せる、YouTubeで公開する、などと変化する。つまり既存マスメディアに依存しなくても、世界に情報発信ができるようになったのだ。
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