盤上で探す「神の一手」 人間と人工知能が紡ぐ思考 (5/5 ページ)
Googleが開発した囲碁AIでも読めなかった「神の一手」。盤上ゲームにおける妙手が生まれるプロセスを、人間と人工知能の思考の違いから読み解く。
「コンピュータがひらめく時代」に
以前、将棋電王戦を取材する中で「人間にしか指せない手はあるか? あるとすればそれはどういうものか?」ということが気になり、プロ棋士やAI開発者、その他現場に携わる人たちに同じ質問を重ねたことがある。当然かもしれないが、そこでは期待するような答えは得られなかった。
もちろん、純粋に論理的なことを言えば、「人間にしか指せない手」など存在しない。指し手の数が有限であるゲームの性質上、そんなものはない。でもそれは翻って、「人間には指せない手」というものもまた存在しない、ということでもある。いくら「点の評価」が苦手でも、コンピュータと比べて計算量がお話にならなくても、セドル九段や羽生善治名人のように、まだ誰も見たことのない手をひらめく人間は、確かにいる。
進化するAIによって、人間にとっての囲碁や将棋の“領域”が拡張する。それを取り入れて、人間の対局は続いていく。「人間がAIに勝てなくなること」と、「AIがそのゲームを完全解明すること」の間には、かかる時間で見てとてつもない隔たりがある。このまま順調にAIが進化していっても、囲碁や将棋が完全解明される前に宇宙の寿命(人類の寿命、ではない)が尽きると考えている専門家もいる。
山田胡瓜さんの漫画作品「人類は投了しました」には、将棋にのめりこむ青年が住む、近い未来の風景が描かれている。「コンピュータがひらめく時代になったからって」から始まるラストの台詞は、近未来でなく現代に既に当てはまる。
一手の価値は
最後に、筆者の考える「一手の価値」について書いておきたい。
盤上ゲームにおける一手の「価値」を考えたときに、それはおそらく「好手/悪手」という観点で見たときの価値と、その手が指された背景をも含めた価値とに分けられる。「どれだけ勝敗に影響を及ぼしたか」だけを見るのが前者であり、「誰が指したか」「どのような状況下で指されたか」といった情報までを含んでいるのが後者だ。
故人である真部一男九段は、絶局(生涯最後の一局)で、△4二角という絶妙手を発見していながらも、その手を指すことなく投了し、そのまま帰らぬ人となった。幻の妙手と称えられたこの手は、現在のコンピュータ将棋ソフトに解析させるとすぐに見つけられてしまうそうだ。では、この手の価値は大したことがないものだろうか。
あるいは、コンピュータ囲碁や将棋について、CPUを1000個も使っているから、マシンを何百台もつなげているから、良い手が指せて当たり前だ、という人がいる。前述したPONANZA開発者の山本さんはTwitterで、「しかしこの件、“Google”という得体のしれない巨大な何かが囲碁プログラムを作ったのではなくて、やっぱり囲碁プログラムに膨大な情熱をささげたプログラマ達が作ったという事実は皆さんも覚えていてほしいです」と書いている。
我々はこうして、さまざまな要素を含めた価値観の上で囲碁や将棋の一手を見ている。勝敗に直結する手の意味は分からなくても、その手を指したときに棋士の指が震えたことに感動を覚える人もいるし、逆に「背景を含めて語るのは性に合わない。純粋に勝敗への影響度だけで手の価値をはかりたい」という人もいる。
しかしそこに共通しているのは、その一手が我々を興奮させるから、好奇心を満たすから、心を揺さぶるから、見ずにはいられないのだという点だ。この地点から語れば、人間とコンピュータの一手に違いはなく、またここに囲碁や将棋というゲームの持つ深さや広がりがある。
「悪手はとがめられなければ悪手ではない」という言葉がある。同じく好手、神の一手も、たとえ指されたとしても我々がその手の価値に気付くことができなければ、ただの平凡な一手として忘れ去られてしまう。
でも、その一手を己の人生をかけて追い求めようとする棋士たちには心からの敬意を払いたいし、それを導いてくれるかもしれないAI開発者たちが、人間に相対する側の総称としてではなく、個人として正しく評価されてほしい。
今もこの瞬間に、プロが、アマチュアが、あるいはコンピュータが、膨大な量の「一手」を探し続けている。その中にきっと、「神の一手」は隠されている。
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