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自分の庭のように使ってもらいたい──ソニービル跡地「Ginza Sony Park」が単なるショールームではない理由(2/4 ページ)

Ginza Sony Parkを運営するソニー企業の社長で、Ginza Sony Park Project主宰の永野大輔氏に、Ginza Sony Parkの狙いを聞いた。

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直近の展示内容は?

 グランドオープンして第1弾となるプログラムとして、体験型展示「Sony Park展 2025」も開催する。ソニーグループの6事業をテーマに、6組のアーティストが作り上げた音楽を体感できる。

 1月26日から3月30日までの「Part 1」では、「音楽は、旅だ」「半導体は、SFだ」「ファイナンスは、詩だ」をテーマに、Vaundy、YOASOBI、羊文学が企画に参加している。

 4月20日〜6月22日の「Part 2」では、「ゲームは、社交場だ」「エンタテインメントテクノロジーは、ストリートだ」「映画は、森だ」をテーマに、BABYMONSTER、Creepy Nuts、牛尾憲輔が手掛けた楽曲をモチーフとした音楽体験ができるという。

 入場は無料だが事前予約が必要で、「Sony Park展 2025」公式Webページから申し込みが可能だ。

 さらに5階の屋上には、米国で開催されたCES 2025で発表したソニー・ホンダモビリティのEV「AFEELA 1」」を日本で初めて展示している。乗り込むことはできないが、車内の様子は外から見られる。

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5階ではCES 2025で公開されたソニー・ホンダモビリティのEV「AFEELA 1」」を展示。日本では初公開となる
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展示されているAFEELA 1」

前身のソニービル時代、「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算があわない」

 Ginza Sony Parkの前身となるソニービルは、1966年4月29日にソニー創業者の盛田昭夫氏が「東京/銀座の玄関として、ソニー本来のショールームの役割とともに、より有意義な建物を建設すべきである」と考え、「街に開かれた施設」というコンセプトでオープンした建物だった。

 その当時、盛田氏は「こんな地価が高いところでは、どんな商品を売っても採算があわない」と、ユニークな視点で運営していた。

 開業時はソニー製品だけにとどまらず、自動車メーカーや自動二輪メーカー、楽器メーカーなどの製品が展示される総合ショールームとしてスタートした。その後は、ソニー製品を一堂に展示するソニーブランドの発信基地としての役割を担うとともに、マキシム・ド・パリやサバティーニ・ディ・フィレンツェなどの高級レストランが入居していた。

 特徴的だったのは、盛田氏が「銀座の庭」と呼んでいた数寄屋橋交差点に面した10坪のパブリックスペース「ソニースクエア」だ。そのスペースを使って、さまざまなイベントが行われた。春には満開のガーベラの花畑となり、夏には涼しげなアクアリウムが設置されたりといったように、銀座の街と一体化し、四季それぞれに来街者を楽しませた。

 そして、新たなGinza Sony Parkは「訪れた人たちが、自分の庭のように使ってもらえるようにしたい」と永野社長は語る。「銀座の庭」を「銀座の公園」に進化させたともいえる。

 「Ginza Sony Parkというパブリックな空間の中に、訪れた人たちのプライベート空間を作ってもらい、なじみの場所にしてもらいたい。『俺の庭』『私の庭』と言ってもらえる場所にしてほしい」(永野社長)

 解体の途中、公園としての実験的な試みをした約3年の間では、毎日同じ時間にコーヒーを飲みに来る人や、ランドルセルを背負った小学生と母親が、安心安全に待ち合わせができる場所として使うといった光景が見られた。そうした経験から、それぞれの人たちが自分のプライベート空間として利用するパブリックスペースとしての役割を担えることが分かったという。

 また、Ginza Sony Parkは、銀座の街が見える構造としている点も特徴だ。

 「銀座のビルの多くは外を見ることができない。街に開かれたビルとして設計したGinza Sony Parkは、どのフロアからも外を見られる。借景が見えるのは、公園としての役割の1つである。また、テナントや常設店舗を入居させていないのも、公園という狙いからである」とする。

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