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» 2017年05月15日 06時30分 UPDATE

伝統産業の復活劇:衰退一途の今治タオルが息を吹き返した“大事件” (1/5)

愛媛・今治の地で100年以上前から続くタオル産業。長らく日本有数の産地として発展を遂げたが、1990年代に入ると中国産の安い製品に取って代わられるなど、生産量が激減した。そこからどのような復活劇を遂げたのだろうか――。

[伏見学,ITmedia]

 私たちがほぼ毎日使う、ある日用品に対する価値観をこの数年で大きく変えた日本の地方都市がある。半島といくつかの島々からなる瀬戸内海沿岸の人口約16万人の町、愛媛県今治市だ。

 この地で作られる「今治タオル」の赤と青と白のブランドロゴを目にしたことのある人も多いだろう。肌触りの良さ、高い吸水性、織り方や色柄のバリエーションの豊富さなどを特徴とする今治タオルは、高品質、高機能なタオルとして国内外で注目を集めている。これまでタオルの産地や品質などを深く考えたことのある消費者はそれほど多くなかっただろうが、今治タオルブランドの普及によってタオルそのものへの見方が変わりつつある。

今治市内にある「今治タオル本店」では2万点以上のタオル商品を取り扱う 今治市内にある「今治タオル本店」では2万点以上のタオル商品を取り扱う

 実際、今治タオルは販売好調を追い風に生産量が急拡大。現在の年間生産量はおよそ1万4000トンで、底を打った2009年と比べて約49%も増えているのだ。「このままでは現在の製造機器の生産能力を超えてしまう」(今治タオル工業組合・近藤聖司理事長)といった嬉しい悲鳴が出るほどに今治タオルは売れ続けている。

 2013年度には売上高6億円を突破し、個人顧客にとどまらず、客室用アイテムとして導入する「ザ・リッツカールトン京都」をはじめ、ホテルや旅館などの法人顧客も多数抱えるようになったのである。

 今や地方ブランディングの成功事例として脚光を浴びる今治タオルだが、ここまでの道は決して順風満帆ではなかった。かつては産業消滅の危機に直面し、国に対してセーフガード(特定品目の輸入急増による損害を回避するための関税の賦課または輸入数量制限を行うもの)の発動要請をするほどまでに至ったのである。

1991年をピークに激減

今治タオル本店の敷地内にある阿部平助氏の像 今治タオル本店の敷地内にある阿部平助氏の像

 今治タオルの歴史は古く、1894年に実業家の阿部平助氏が改造織り機4台を用いてタオルの製造を始めたのが最初とされる。元々、今治は江戸時代から綿織物業が盛んだったことや、瀬戸内海の交通の要所としてヒト・モノ・カネが行き来するような場所だったことから、すぐにタオルは造船とともに今治の主要産業に成長した。

 泉州(大阪)、三重とともに日本有数のタオル産地として長らく発展を続けてきたが、1990年代初頭のバブル景気崩壊をきっかけに国内のタオル産業は一気に冷え込む。理由は中国を筆頭とする外国産の安い製品が日本に大量に輸入されるようになったからだ。これによってタオルだけでなく日本の繊維産業は壊滅的なダメージを受ける。今治タオルの生産量も1991年の5万456トンをピークに激減の一途をたどり、2001年には半分以下の2万3398トンにまで大きく落ち込んだ。

 危機感を募らせた国内タオル業界は2001年、経済産業省に対して中国産のタオル製品に対する繊維セーフガード発動を要請したが、期待もむなしく2004年に政府の調査は打ち切られ、認可は下りなかった。

 また、今治タオル工業組合(当時は四国タオル工業組合)では2003年に今治市の補助金2億円などを投じて、東京・銀座に今治タオル専門店をオープンした。しかしながら、補助金の終了とともにわずか3年で閉店となった。「国や自治体はSPA(製造小売業)を推奨したわけですが、ノウハウなどはなく、当然うまくいきませんでした。ブランディングというような考えも当時はありませんでした」と近藤氏は振り返る。

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