その分かりやすい例がつい最近、SNSで話題になっているあるBTSファンの方だ。「国よりもK-POPのほうが大事」と明言するこのファンは以下のようなツィートをした。
「日本の戦国時代にいっぱい人が死んだって言われたって昔すぎてどうでもいいじゃん? 原爆も同じだよ まだ戦国時代よりは新しいから少しむごく感じるだけ そのうち原爆無双とかいってイケメンのゲームになるよ 人間なんてそんなもん そんなことより今のバンタンを楽しむよ」
個人的には、罪のない市民が犠牲になった「戦争犯罪」を戦国時代と一緒にするのは全く同意できない。広島の惨劇を思えば正直、「怒り」もこみ上げる。だが、その一方でかばうわけではないが、このファンの方が、このようなものの言い方をする背景もなんとなく理解ができるのだ。
今回の騒動で、多くの日本人が「いくら日本を恨んでいても原爆のような大量虐殺兵器を正当化するなんて絶対に許せない」と怒りの声を上げているが、その一方でこのファンの方のように、「原爆」というものを終わったことで、「あれはあれで、しょうがないじゃん」と割り切ったものの見方ができる人が増えているのだ。
2015年、NHKが全国で「原爆意識調査」を行なったところ、広島に原爆が投下された日を知っている人が30%しかいないことが話題になった。厳しい言い方だが、多くの日本人にとって原爆はもはや忘れても構わない「過去」となっているのだ。
実際、今年の8月6日もテレビでは原爆慰霊式典より、ボクシング協会のトラブルメーカー「男・山根」をうれしそうに取り上げていた。
細かい日にちとかは忘れても、日本人の中にはちゃんと原爆は許されないことだという思いは受け継がれているさ、と反論をする人たちもいるが、現実には「許されないこと」という概念さえ揺らぎつつある。その「悲劇」という概念も揺らいできた。
同じNHKの調査では、「アメリカが原爆を投下したことをどう考えていますか?」という質問をしたところ、「やむを得なかった」と答えた人が10年に39%、5年後にはこれが増えて41%となっている。この傾向は広島市の方が顕著で、15年の「やむを得なかった」は44%、「今でも許せない」(43%)を初めて上回った。
どこかの国のようにいつまでもネチネチと被害者ぶっていてもしょうがない、日本人は未来志向だと言えば聞こえはいい。
だが、先ほども述べたように、原爆は非戦闘民を大量虐殺した明確な戦争犯罪だ。ナチスのホロコーストをユダヤ人の皆さんが決して「やむを得なかった」などと言わないように、いわゆる南京事件を、中国の方たちが「あれはしょうがない」などと口が裂けても言わないように、日本人も断じて原爆を「容認」などしてはいけないはずだ。
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