マスコミの「感動をありがとう!」が、実はとってもヤバい理由スピン経済の歩き方(1/6 ページ)

» 2018年08月28日 08時31分 公開
[窪田順生ITmedia]

 「感動をありがとう!」の大合唱が日本中に溢れている。

 一昨日の『24時間テレビ「愛は地球を救う」』(日本テレビ)で、みやぞんのトライアスロンや、聴覚障害のある子どもたちがチャレンジしたヲタ芸をご覧になって、そのひたむきな姿に心が動かされた方が多くいるのだ。

 また、予選からたった1人のエースが881球を投げきった金足農業高校の雑草魂や、高校球児たちが織りなす感動ドラマに、勇気をもらったという方も山ほどいらっしゃることだろう。

 少し前には、行方不明の2歳児を発見した78歳の尾畠春夫さんの生き様に思わず胸が震えたという方も多くいた。そういう意味では、この8月は「感動の夏」と言っても差し支えないような状況だったのだ。

 そんなムードの中で非常に申し上げづらいのだが、この「感動をありがとう!」というトレンドはあまりよろしくない。というよりも、かなりヤバいとさえ感じている。

「感動報道」が日本中に溢れている(写真提供:ゲッティイメージズ)

 なんてことを口走ると、「日本人の素晴らしさにイチャモンをつけるなんて、こいつは反日サヨクに決まってる」と一部ネット民の方たちから執拗(しつよう)なリンチが始まってしまいそうなので、先に釈明をさせていただくと、障害者の皆さんや高校球児、そして尾畠さんらにケチをつける気は1ミリもない。もちろん、彼らの姿に心を打たれた方たちを批判するような意図もない。

 「感動」を必要以上にあおり過ぎているマスコミが、「ヤバい」と申し上げているのだ。

 「感動をありがとう!」という不可思議な日本語からも分かるように、このトレンド下では、感動を人に与えることが何よりも優先されていく。

 このような「感動至上主義」にとらわれたマスコミは、「終わりよければ全てよし」ではないが、「感動できれば全てよし」というカルチャーがまん延して、「大切だけと地味な話」や「重要だけど退屈な話」をサクサクとスキップしていく。

 つまり、美談で済まされない問題が山積みであるにもかかわらず、「感動をありがとう!」の大合唱のなか、じゃんじゃん「クサいものにフタ」へと突っ走るのだ。

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