マスコミの「感動をありがとう!」が、実はとってもヤバい理由スピン経済の歩き方(4/6 ページ)

» 2018年08月28日 08時31分 公開
[窪田順生ITmedia]

読者に感動を伝えることが目的に

 なぜケチをつけるのかというと、危険だからだ。

 メディアの世論誘導など負の側面を分析してきた立場から言わせていただくと、感動至上主義に傾倒し過ぎたメディアは、感動を伝えることこそが自分たちの使命だという錯覚に陥って、批評や分析の視点がごそっと抜けていく。その症状がさらに悪化していくと、思考停止に陥って、最終的には人がバタバタ死んでも、感動できれば問題ナッシングみたいなモラルハザードが引き起こされる。

 そんなのはお前の妄想だと思うかもしれないが、ちゃんと歴史が証明している。例えば、「爆弾三勇士」が分かりやすい。

 ご存じの方も多いかもしれないが、1932年の上海事変時、敵陣の鉄条網を爆破するため、点火した破壊筒を持って突撃・自爆した3人の陸軍兵士のことである。後の「神風特攻」にもつながるこの愛国美談が報道されると、日本中は「感動をありがとう!」の大合唱に包まれた。

そのフィーバーぶりはすさまじく、子どもたちの間には「爆弾三勇士ごっこ」まで流行したという。

 当然、「いくら作戦のためとはいえ、3人の命を投げ出さなくてはいけないの?」「破壊筒を置いてなぜ帰ってこれなかったの?」と感じる人もいたが、その声は「感動をありがとう!」の大合唱にかき消された。

 というと、当時のマスコミは軍の方針に無理に従わされたていた、みたいにすぐに被害者ぶる人たちがいるが、それは大きな誤りである。確かに、彼らを戦意高揚に利用したのは軍部だが、競い合うように映画、新聞、童謡、書籍化などをしていたのは、他でもないマスコミなのだ。

(写真提供:ゲッティイメージズ)

 朝日新聞社が戦時報道を振り返った『新聞と戦争』を読むと、言論機関として「窒息」したのは、日中戦争が深まり、38年に国家総動員法ができたからだと記されている。つまり、1932年の「爆弾三勇士ブーム」は、軍の強制うんぬんではなく、「甲子園」や『24時間テレビ』と同様に、「感動コンテンツ」を欲するマスコミが自らつくりあげたものなのだ。

 彼らが度を超えた感動至上主義に陥っていたのは、「爆弾三勇士」から1年以上経過した際の報道を見れば分かる。ドイツの画家が日本海軍で進められていた「人間魚雷」の絵を書いた。

 「四百名の勇士を募集したところ、志願者は五千名に達した」なんて但書が付けられていたが、海軍はデマだと一蹴。ドイツ人が「爆弾三勇士」の熱狂を見て、勝手に空想したのだと。だが、これはビミョーな話である。海軍はこの10年後に「回天」という人間魚雷を開発するが、その構想が実はこの時点から既にあったという話もあるからだ。

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