なぜこうなってしまうのか。毎年、『24時間テレビ』の裏で、番組コンセプトを揶揄(やゆ)するような企画を放映することで知られる『バリバラ』(NHK Eテレ)が、今年掲げた「障害者はテレビを救う」というタイトルが問題の本質を突いている。
『24時間テレビ』に取り上げられる障害者は、あくまで視聴者の皆さんに感動を与えるテレビコンテンツのひとつとして重宝されているに過ぎない。そのため、その感動にフォーカスが当たれば当たるほど、本来メディアが取り上げなくてはいけないヘビーなテーマが、おざなりになってしまう悪循環が生まれているのだ。
この構造は、まんま「甲子園」にも当てはまる。
前々回のコラムでも述べたが、高校野球は長きにわたって先送りされてきた問題がわんさかあるからだ。
熱中症でバタバタと子どもたちが倒れる危険性はもちろんのこと、定期的に死者を出す根性論丸出しの前近代的な“シゴキ”や、選手の疲労を無視した興行優先の過密スケジュール、さらには「1人のエースが881球投げ切るのが高校生らしいのか」という問題など言い出したらキリがない。
だが、そのような問題は毎年ちょこっと話題になるだけで、すぐにうやむやにされる。「金足農、感動をありがとう!」みたいなマスコミの大合唱によって、それらの指摘が見事にかき消されてしまうのだ。
こういう話をすると、決まって「東北の人たちも喜んで、日本中も感動して、みんなハッピーなのに水を差すな」「高校球児たちが強制じゃなく自主的にやっていることに外野がケチをつけるな」というお叱りを頂戴するのだが、先ほども申し上げたように、筆者は甲子園や高校球児にケチをつけているわけではない。
「世に感動を与えてるものは無条件に正しい」というマスコミの「右へならえの大合唱」にケチをつけているのだ。
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