「私たちの組織にとってのKPIは『睡眠時間』だった」――。
こう話すのは、台湾の初代デジタル発展部部長(大臣)を務めたオードリー・タンさんだ。
2025年5月に発売された『PLURALITY 対立を創造に変える、協働テクノロジーと民主主義の未来』(サイボウズ刊)。同書でタンさんは、対立や意見の相違を無理になくすのではなく、むしろそれらを革新のエネルギーとして捉え直す「Plurality」(多元性)という考え方を提示。長時間労働と同質性を重視してきた日本企業に対し、多様性を生かしたテクノロジーとの協働を通じて、新たな可能性を切り拓く視点を示している。
生産性の低さが指摘されている日本。人口減少が追い打ちをかける中で、現状を打開するためには、どうしたらいいのか。企業はAIをどのように使いこなしていくべきなのか。タンさんに聞いた。
オードリー・タン 元台湾デジタル発展部部長。1981年、台湾台北市生まれ。2005年、プログラミング言語Perl6開発への貢献で世界から注目を浴びる。2014年、米Appleでデジタル顧問に就任、Siriなどの人工知能プロジェクトに加わる。その後、蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣。台湾の新型コロナウイルス対応では、マスク在庫管理システムを構築、感染拡大防止に大きく寄与した――タンさんは、今の日本企業や日本の経営者の課題を、どう見ていますか。
日本では長時間、過剰に働くこと自体を誇りに思う文化が続いてきたように感じます。管理職が自ら超過勤務や長時間労働をし、それを周囲にも押しつけてしまう空気がありました。結果として、かなり多くの人が離職してしまい、組織の中の人がどんどん入れ替わっていく。離職率が非常に高くなってしまった状況を目にしてきました。
私が台湾でデジタル発展部部長として仕事を始めたとき、最初に言われたKPIは「部下がどれだけしっかり眠れているか」でした。サイバーセキュリティのチームから毎日レポートを上げてもらっていましたが、その中にメンバーがどのくらいの時間、きちんと眠ったかも含めて報告してもらっていたのです。
十分な睡眠が取れていないと、新しい情報を受け入れられない、きちんと考えられない、学ぶこともできない。世界の状況がこれだけ速く変わっていく中で、昨日と同じことをただ繰り返すだけでは不十分です。その変化に対応するには、職場で働く時間で最大限のパフォーマンスを発揮してもらう必要があります。そのためには、しっかりと睡眠を取ることが不可欠だと考えました。ですから、私たちの組織にとってのKPIは「睡眠時間」だったのです。
――失われた30年を過ぎ、人口も減少していく中、日本企業は今後、生産性を上げていかなければいけない状況にあります。
そこで重要になってくるのが、この『PLURALITY』で紹介しているテクノロジーだと考えています。ここで扱っているテクノロジーは、実はよりよく眠ることと深く関係しています。
この本にも書きましたが、大事なのは、対立そのものをなくすことではありません。対立は、どの社会や組織でも必ず起こり得るものです。ただ、例えばソーシャルメディアを夜遅くまで長時間続けていると、さまざまな時間の無駄が生じるだけでなく、人とソーシャルメディア上で「戦う」ような状態になり、感情的な対立が激しくなってしまうことがあります。その結果、怒りで夜も眠れない、というようなことが起きてしまう。毎晩のようにそうしたことを繰り返していると、当然ながら、質の良い睡眠は取れません。
そうなると、社会の中で「分極化」が進んでしまいます。人と人とが対立し、分断されていくわけです。そこで「ブリッジング・システム」という考え方を紹介しています。人はしっかりと睡眠を取っているときの方が、お互いに合意点を見いだしやすくなります。相手の意見に納得し始める状態になりやすいのです。
どれだけ自分と相手の意見が違っていても、良い睡眠を確保できていれば、相手の考えが分かり始める余裕が生まれます。逆に、ソーシャルメディア上で感情的な対立をエスカレートさせるような使い方をすると、社会を分断する方向に働いてしまう。ですから、オンラインでのコミュニケーションのデザインを工夫し、分断ではなく「橋渡し」を促すようなシステムにしていくことが重要です。その前提としても、よく眠ることが大事だと考えています。
――今は特に生成AIが大きな注目を集めています。企業経営において、そこにはどんな可能性があると考えていますか。
多くの日本企業は、AIを主にルーティンワークの自動化に使おうとしています。繰り返し行う定型的な仕事をAIに任せることで効率化しよう、という発想ですね。人は本来、シンプルで誰にでもできることはあまりやりたくない存在ですから、そうした部分をAIに任せてしまおうという考え方はよく分かります。
一方で、人が価値を感じてお金を支払うのは、より「カスタマイズされたもの」「自分ごと化されたもの」です。ですから、ルーティンな仕事をAIに任せるのは入口にすぎず、その先で人間がどれだけカスタムな価値を生み出せるかが重要になります。
いま「バイブコーディング」と呼ばれるような、AIにコードを書かせるやり方も広がっています。ただ、そのコードを一度書かせたらすぐ捨ててしまう使い方も少なくありません。ビジネスオペレーションの本当に重要な部分は、単に自動化すればよいのではなく、継続的に改善し、組織の知として蓄積されるべきものです。にもかかわらず、「自動化できればそれで終わり」という発想にとどまっているケースが多いように感じます。
これから先、コーディングはますます広い領域で使われていくと思います。同時に、多くの人は、AIは人間が一度トレーニングして、あとはデプロイ(公開)すれば終わりというイメージを持ちがちです。しかし、特にAIエージェントの場合はそうではありません。豊富な経験を通じて継続的にトレーニングしていく存在であり、「オンラインラーニング」のように、使いながら学び続けることが前提になっています。どこかから持ってきたモデルをそのまま使えば終わり、というものではないのです。
――日本企業は何を意識してAIエージェントを導入・運用していくべきでしょうか。
AIエージェントをしっかり使い込むことで、もし一度壊れてしまっても、ユーザー自身がアップグレードしたり、より良い形に作り変えたりできます。本当の意味での仕事は、それぞれの現場やコミュニティにおいて、人とAIのアラインメント(整合)が取れていることです。その意味で大切なのは、AIが「そもそも何を目的として動いているのか」を人間と共有することです。そして「何が人間にとって健全な状態なのか」という価値観を、コミュニティ全体でAIと分かち合えるようにすることだと思います。
AIは、特定の開発者だけに忠誠を捧げる存在や、「植民地」をつくるように一方的に支配するための力であってはなりません。むしろ、コミュニティの誰もが参加し、一緒になって新しいものを生み出す「共創の力」になるべきです。そのことが、人と人との関係性をより健全なものにしていくはずです。AIと人間の関係性は「上下関係」ではなく「対等な関係」にあるべきです。
日本では、例えば(AIスタートアップの)Sakana AIのように「ホリゾンタル・アラインメント」(水平的な整合)を重視する会社も出てきています。こうした、人とAIの共生・共存にフォーカスし、垂直的な支配ではなく、文化的・倫理的にもアラインメントが取れているシステムが、これからますます注目されていくと考えています。
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