05年に当時所属していたレーベルで「リナ・パーク」という1人の韓国人女性アーティストを担当することになった。彼女のパフォーマンスを見た中村さんはその力強い歌声にただただ圧倒されたという。
「とにかく、ずば抜けて歌がうまかったんです。ボーカル力がすごかった。韓国のアーティストのレベルの高さを改めて思い知った瞬間でもありました」と振り返る。
その頃は既に「BoA」「東方神起」「神話(SHINHWA)」などがそれぞれの立ち位置を確立しながら日本で活躍していた時期でもあった。中村さんの担当は邦楽アーティストではあったが、韓国人アーティストのハイレベルなパフォーマンスとそれを裏付けるすさまじい努力や熱意には一目置いていたという。
また、「ジャンルを問わず、制作に携わる人は自分も含めて皆さんこだわりが強いと思いますが、特にK-POPに関してはチーム全体でアーティストや作品を作り上げようとするこだわりの強さを感じました」と制作への向き合い方が印象深かったと語る。
特にMV(ミュージック・ビデオ)に対する考え方は日本と韓国では違っていた。当時の日本ではPV(プロモーション・ビデオ)という呼び方をすることが一般的で、その名の通り楽曲のプロモーションのための素材として利用していた。
「日本ではPVはあくまでもテレビなどで音を流してもらうため販促用のツールという位置付けがほとんどでした。一方で、K-POPでは既にMVと称し映像コンテンツとして扱っており、作品全体として魅せる流れの走りだったと記憶しています」という。
中村さんは韓国人アーティストのパフォーマンス力を実際に目の当たりにしたことで「素材の持つ力」をどのように伝えるかが日本でのヒットにつながると考えた。
日本の音楽市場ではJ-POPをはじめアイドル、アニメ、ロックなど幅広いジャンルの作品が人気だが、韓国のポピュラーミュージックシーンでは歌って踊るスタイルのアーティストがほとんどだ。そこで、作品の持つ「画力(エヂカラ)」に着目し、作品のプロモーションを音と映像を一緒に流すことに注力した。
当時の日本では音楽作品の宣伝はラジオや有線放送での放送やレコードショップで楽曲を聞いてもらうことに注力したプロモーション展開が一般的だった。だが中村さんは、K-POPの作品については地上波のテレビやCSチャンネルのほか、家電量販店のモニターなどで楽曲と映像とを一緒に楽しむことができる媒体に予算やスタッフを集中させた。さらに、当時としてはまだ珍しかった街頭イベントのインターネット中継を行うなど、アーティストの魅力と楽曲の力が掛け合わさるようなプロモーションを目指した。
10年に日本デビューしヒップダンスが話題となったKARAやキレのいい一糸乱れぬダンスが話題となった少女時代などにもこのような新たなプロモーション戦略を採用。それが功を奏したのか、彼女らの楽曲は日本でも大ヒットを記録したのだ。
こうしたアーティストの飛躍は、日本のK-POPブームに一気に火を付けただけではなく、K-POPという言葉を一般化させるまでに至った。実はK-POPという言葉が当たり前のように使われるようになったのはこのころからだという。
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