都内に建てられた一軒家の1階に北欧雑貨が所せましと並んでいる。吹き抜けの店舗には大きな窓が取り付けてあり、開放感あふれる間取りは7坪しかないはずの限られたスペースを広く見せる。ここは塚本佳子さん(46歳)が40歳の時に建てた自宅兼北欧雑貨店の「Fika」だ。
この家を建てた当時、塚本さんは数十人規模の小さな出版プロダクションに勤める会社員だった。塚本さんは専門学校卒業後、21歳で就職。最初は編集者として雑誌の編集や執筆業務に携わっていたが、気付けば管理職としての業務も任されるまでになっていた。退社するまでの約20年間、脇目も振らずに働き続けた。
そんな塚本さんに転機が訪れたのは30代半ばに差し掛かったころだった。20代のころは多忙を極めつつもやりがいを持って働いていたが、30代に入り管理職という立場になったことで状況が一変。会社の運営方針に対して疑問を感じるようになり、人間関係も徐々にぎくしゃくするようになってしまったという。
「30代のころは悩まない日はなかったと感じるくらい、仕事のことで常にストレスを抱えている状態でした。とにかくあのころは毎日辛かったの一言ですね。元々、編集者としての仕事が好きだったので、管理職になることには抵抗していたんです。ただ、社歴や職歴を考えると私しかいなくて……。やむを得ずといった流れでマネジメント業務をやるようになりました」と語る。
会社全体を見るようになると、今までは見て見ぬふりをしていた“会社の課題”が目に付くようになってくる。ただ、上司に意見を聞き入れてもらえるような風土の会社ではなく、塚本さんは違和感をずっと解消できずにいた。その結果、イライラが募り、周囲へのあたりが強くなってしまったこともあった。
ストレスが限界にまで達していることを感じ転職することも真剣に考えた。だが、小さな会社でしか働いたことがないという引け目からか、塚本さんは社会人としての自分のスキルにどうしても自信を持つことができなかったという。結局、「自分は“井の中の蛙”。他の会社ではやっていけない」と転職は諦めた。当時はそれなりに高い給料をもらっていたことも、ストレスフルな職場を離れることに躊躇(ちゅうちょ)してしまった理由だったようだ。
「それからは『仕事は生活費を稼ぐため』と割り切るようにしていました。ただ、根本的な問題を解決したわけではなかったので、心が追い詰められる日もあれば楽になる日もある。そんな日々を繰り返していくうちに、心身のバランスが崩れていくのを感じていました」
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