9月26日にUnite Tokyo 2019運営事務局主催の「Unite Tokyo 2019」がグランドニッコー東京で開催された。今回はその中のセッション「出版社とゲーム会社はなぜすれ違う? ドラゴンボールのゲーム化で酷(ひど)い目にあった…もとい勉強させて頂いた話」の模様をお届けする。
この講演の主役は、『週刊少年ジャンプ』伝説の編集者「Dr.マシリト」こと白泉社会長の鳥嶋和彦氏である。鳥山明氏の超人気マンガ『DRAGON BALL(ドラゴンボール)』の担当編集者だった鳥嶋氏はかつて、同作のビデオゲームを開発していたバンダイ(現・バンダイナムコエンターテインメント)のプロデューサーに対して、数億円の予算を投じたそのゲーム開発をいったん中止させるという、強烈なダメ出しを行ったという。それはいったいなぜなのか。そしてそのとき、ゲーム会社と原作元の間にはどのような考え方の違いがあったのか。この講演は、そうした点について当事者たちが改めて振り返ってみるという企画である。
当日は、ダメ出しを行った張本人である鳥嶋氏に加えて、ダメ出しを「された側」であるバンダイナムコエンターテインメント取締役の内山大輔氏と、バンダイナムコホールディングスIP戦略本部アドバイザーの鵜之澤伸氏が登壇した。内山氏は「ドラゴンボールZ1〜Z3」に加え「.hack」や「ナルティメットヒーロー」など、ゲームの大ヒット作をプロデュースし、鵜之澤伸氏はTVアニメ『機動警察パトレイバー』のプロデュースも手掛け、バンダイナムコゲームスの社長を務めていたことで知られている。
司会進行は、ゲーム情報サイト「電ファミニコゲーマー」を運営している株式会社マレ社長の平信一氏が務めた。
記事の前編「『ジャンプ』伝説の編集長が、『ドラゴンボール』のゲーム化で断ち切った「クソゲーを生む悪循環」 」はすでにお届けしたが、今回の中編では、バンダイナムコが当時、開発費として数億円を投じていた『ドラゴンボール』のゲームプロジェクトを一度“ボツ”にした経緯と真相をお届けする。
平氏: まぁそんなわけで、(前編記事「『ジャンプ』伝説の編集長が、『ドラゴンボール』のゲーム化で断ち切った「クソゲーを生む悪循環」 」で)出版社とゲーム会社がどういうやりとりをしているかというのは一通り説明できたと思いますので、本題について、実際に内山さんが直面した事例を参考にしながら、当時どういうやりとりをしてきたのかを聞いていこうと思います。
これは内山さんのほうから、スライドを読みながら解説していただいてよろしいですか。
内山氏: 2003年ですから、今から16年前になりますけれども。僕は『ドラゴンボールZ』【※】というプレイステーション2の格闘アクションゲームをプロデュースさせていただきまして。これが出た03年というのは、実はアニメの『ドラゴンボールZ』も『ドラゴンボールGT』も、『ジャンプ』でのマンガの連載も終わっていた時期なんですね。
人気作品を商品化するときは普通、当然ですがアニメが流れているころにタイミングをしっかり合わせて、子どもたちに売っていこうするわけです。そういうところから見ると『ドラゴンボールZ』は当時、商品展開ができる環境ではなかったんです。
ただ僕は、入社直後から『ドラゴンボール』のゲームをやらせていただいていましたし、その少し前にプレイステーション(PS1)で『北斗の拳』のゲーム【※】を作ったら、懐かしい作品としてけっこう売れまして。それで「『ドラゴンボールZ』も“懐かしい需要”で売れるんじゃない?」と思ったんです。
それで鵜之澤と話をしまして、この格闘ゲームを作り始めまして。ところがこのとき、面白いものを作って持っていけば、きっと「いいね」と言ってもらえるだろうと思ってですね、『ジャンプ』編集部さんにちゃんと説明をしていなかったんです。今、目の前に当時の内山大輔がいたら、とっ捕まえていろいろと言いたいことがあるんですが、当時は「いいじゃん」ぐらいで非常にユルかったんです。
ところがですね、「バンダイの小僧が『ドラゴンボール』のゲームを、編集部がちゃんと話を聞いていないのに、勝手に作っているらしいぞ」という噂(うわさ)が、『ジャンプ』編集部にまで届いたらしくて。それで鵜之澤と僕に、お呼び出しがありまして……。
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