「第2回MIJSカンファレンス『Japan』」では、Ruby開発者のまつもとゆきひろ氏と、日本のJavaエバンジェリストである丸山不二夫氏の初対談が実現する。国内のデベロッパー注目の2人に、話を聞く。
11月29日に開催が迫った「第2回MIJSカンファレンス『Japan』」では、デベロッパーにとって待望の顔合わせとなるビッグ対談が用意されている。
登壇者の1人は、日本発の軽量オブジェクト指向プログラミング言語「Ruby」の生みの親であり、現在はネットワーク応用通信研究所と楽天技術研究所でフェローを務めるまつもとゆきひろ氏。そしてもう1人は、UNIXやJavaを教育に取り入れた日本初の大学として知られる稚内北星学園大学で教授を務める傍ら、今年4月に発足した日本Javaユーザーグループ(JJUG)の会長に就任した丸山不二夫氏である。
両氏がじっくりと語り合うのはこの日が初めてという。この2人によるカップリングの妙も興味深い。そこで今回は対談に先立ち、Rubyの話題を軸にして、2人のオープンソースにかける思いや技術者として信念について探った。
1995年にプログラミング言語としてのJavaは、言語の決定版かのごとく華々しく登場した。それから12年を経てもなお学ぶ技術者は絶えず、ローエンドからハイエンドまで幅広い分野のシステムに普及している。だが、言語にはライフサイクルがあり、次々に新たな言語が生まれては消えている。そして、COBOLやBASIC、C++、Perl、PHP、Python(パイソン)など、それら歴史に名を残す言語のほぼすべてが日本人以外の手で生み出されたものだ。
そんな中、ある言語好きの日本人が作ったRubyが、今や100万ユーザーを抱えるほど世界に受け入れられている。まさに日本の面目躍如、多くの開発者が勇気付けられたことだろう。
開発者であるまつもと氏は「ソフトウェアには、アプリケーションのようにその国の文化や生活言語に強く依存したものも多いが、プログラミング言語など開発系は文化や生活言語に依存せず、誰が作ろうと自由」と話す。事実、プログラミング言語はアメリカ人より、むしろ非英語圏のヨーロッパ人による開発が多いという。
例えば、オブジェクト指向プログラミング言語の元祖ともいえる「Simula」(シミューラ)は、ノルウェー人のクリステン・ニガード(Kristen Nygaard)氏とオルヨハン・ダール(Ole-Johan Dahl)氏が1962年から1967年にかけて作ったもの。C++は、1983年にデンマーク人で当時AT&Tベル研究所のコンピュータ科学者だったビャーネ・ストロヴストルップ(Bjarne Stroustrup)氏が開発した。Pythonは90年代当時にコンピュータプログラマーだったオランダ人のホイド・ファン・ロシュム(Guido van Rossum)氏によるものだ。
「開発系は文化ニュートラル」と言う同氏は「Ruby以前にもプログラミング言語を作った先人はたくさんいる。Rubyが広まったのは運が良かっただけなのかもしれない」と、いたって気負いがない。
プログラミング言語デザインのアプローチは大きく2種類あるという。1つはアカデミックな人々が、大学で論文を書くためにプログラミング言語を開発するケース。“Ph.D.(博士学位)ランゲージ”と言われ、今は誰も使わない言語が日本にも山のように存在する。
そしてもう1つは、本業の傍らプログラミングが楽しいと考える開発者が趣味として作った言語。自分のプロジェクトを効率よく解決するためのツールとして生み出される。この趣味の言語の中から、ユーザーの支持を得られたものが広く世界で定着するようになった。FortranやC、そしてRubyなどがそれに当たる。
まつもと氏によると、Rubyが知れ渡るまでに、海外からの大きな波が3度あったという。第1期は1997年ごろ、WebでRubyを見つけたというあるドイツ人が、英語のメーリングリストやネットニューズで宣伝してくれたのが始まり。第2期では、ベストセラー「ザ・プラグマティックプログラマー(達人プログラマー)」の著者(アンドリュー・ハント、デビッド・トーマスの両氏)がRubyを見初め、2000年に出版した『プログラミングRuby―達人プログラマーガイド』をきっかけにRuby人気に火が付いた。
そして、2004年7月にWebアプリケーションフレームワークの「Ruby on Rails」が公開されるやいなや、爆発的に広まっていった。これが第3期。Railsを開発者したデンマーク人のデビッド・ハイネマイヤー・ハンソン(David Heinemeier Hansson)氏は学生当時、PHPでフレームワークを拡張することに限界を感じ、別の言語を探していたところにまつもと氏と出会い、Rubyにのめり込んだ。
その後、彼は米37signalのパートナー社員となり、プロジェクトマネジメントツール「Basecamp」をRubyで開発。そこに実装したRailsのコードを一般化した。2004年にブラジルで開かれたソフトウェアカンファレンスでは、ハンソン氏がRailsを用いてわずか15分でブログシステムを作り上げ、それを間近に見た参加者は度肝を抜かれたという。
このように、世界的なRubyコミュニティーといえる連携が生まれてきたのも、まつもと氏の言語に対する姿勢があったからだろう。
言語開発に当たり、作るのがラクな場合と使うのがラクな場合では、それぞれが相反する要素となる。作る側がラクをすれば使う側が苦労する。Rubyの場合、開発に相当苦労したという点で、多くの人々に使ってもらいたいという同氏なりのこだわりがあったようだ。
日本のソフトウェアが海外で認められるようになるためには、技術者や技術そのものの連携が重要なテーマになる。日本人開発者に必要な姿勢として、まつもと氏は「言語の壁はあるが、臆さず積極的に海外の技術者やコミュニティーと交流すべき。海外の開発者は日本の動きに関心が高く、つたない英語でも聞いてくれる」とアドバイスする。
特にオープンソースの世界では、開発者が前面に出ることが当たり前になっている。個人がすべてであり、組織が前面に出ることはない。英語のドキュメントを書いた個人が発する情報だから評価されるというわけだ。
強制されること、不条理なことはいやだと言うまつもと氏は、日本人技術者はとても我慢強く、不満を表さず黙々と作業を続ける。尊敬には値するが、その多くが幸せそうには見えないと残念そうだ。
「プログラミングは楽しいものでなくてはならないと考えている。そのために、苦労もいとわずRubyを作った。昔、MSXやマイコンなどに触れた人なら、プログラミングの楽しさを覚えているはず。そんな、開発する楽しさをあきらめないで思い出してほしい」
一方、丸山氏は日本初のJavaエバンジェリストとして、Java普及に最も影響を与えた1人として知られている。エンジニア同士の連携に尽力し、日本におけるJava開発の活性化と国際競争力の向上のため活動する。
丸山氏は、日本からRubyのような言語が登場し、若いデベロッパーがスクリプト系言語を熱心に学んでいるのはとても良いことだと話す。「それを可能にしたのが、コンパイラやパーザー(構文解析系)の技術を誰もが使えるようにした、UNIXの文化の広がり。UNIXの文化は、スクリプティングやマッシュアップの先駆であり、オープンソースや、フリーソフトの生みの母でもある。」と同氏は指摘する。
Javaは今でも「write once, run anywhere」(*注1)を継承するが、むしろ.NETの方が多様な言語をインタープリットするアプローチになっている。しかし現在、Javaも大きく変化し、Java VM(Java仮想マシン)上でさまざまな言語を扱うのが1つの流れになっている。GroovyやJRubyなどがJavaVM上でのLL(軽量言語)として注目を集めていると丸山氏は言う。
Javaを共通の関心として組織された大小さまざまなコミュニティーのためのコミュニティー、という役割を持つJJUG。その今年4月に行われた結成総会の場で、丸山氏は「Javaだけの技術に閉じず、Rubyのようなスクリプト言語のコミュニティーや地方のオープンソースコミュニティーとも連携する」と語っている。日本の技術者の海外での貢献活動が少ないという問題意識を持っている丸山氏は、JJUGで吸い上げたことを海外に伝える役割を担えればいいとも述べている。
「現在、まつもとさんをはじめ、『Project Looking Glass』(*注2)のプロジェクトリードを務めていた川原英哉さんや、JAXB(*注3)2.0エキスパートグループメンバーの川口康介さんなどが頑張っている。最近、再評価が進んでいる、Relax NGでも、村田真さんや浅海智晴さんが貢献している。しかし、日本におけるITの広がりに比べたら、世界で活躍する日本人の数はまだまだ少ない」
そこには、会社の影響力が強すぎて個人での活動が制限されている実情があるからだろうと同氏は分析する。“職務専念義務違反”などを持ち出されると、オープンソースなんて成り立たない。それに、人員削減の過密労働になっている中でコミュニティー活動に費やす体力など残っておらず、個人の資質ばかりを責められないという。
「オープンソースの問題は、ビジネスとの接点が希薄になりがちなこと。個人の活動だと思われて、日本ではなかなか広く認知されない。今後、コミュニティー活動が会社にとってもメリットがあることを強く打ち出してくことが必要だろう。オープンソースとコミュニティーを企業が活用して、それがビジネスの“種”になることに気付く人を増やすことが不可欠の時代となる。IBMもSunもGoogleも、それぞれのスタンスに違いはあるが、オープンソースとコミュニティを重視する姿勢をはっきり見せている」(丸山氏)
そんな状況もあってか、稚内北星学園大学の東京サテライト校で実施するリカレント教育(*注4)には、およそ130人もの学生が参加する。そのほとんどが、IT業界で働く社会人だ。しかも、卒業せず勉強を続ける学生が多いという。
彼らは向上心と同時に、会社を越えた技術者同士のコミュニティーを貴重だとする傾向が強い。自分の技術や知識が狭い範囲で閉じられ、古くなるという技術者共通の危機感があるからなのかもしれない。
企業の中で自由に開発を許す部分や、個人の才能を評価し信頼する姿勢を持つべきだという丸山氏は、「経営者も技術の評価やトレンドについて正確な理解を持ち、オープンソースの役割を高めることが、日本のIT業界を強めていくことになるからだ」と語る。
このように、ライトなRuby、ヘビーなJavaというスタンスの違いこそあれ、日本の技術者へ大きな期待を込めて語っている両氏だが、対談ではより明確なメッセージが投げかけられるものと期待できる。
第2回 MIJSカンファレンス「Japan」 真のアプリケーション連携がここから始まる――「MIJS標準規格」第一弾発表 |
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注目 セッション |
【基調講演】 「創造的破壊の経営戦略 〜高生産性ビジネス創出と国際競争力の強化〜」 ・セコム株式会社 取締役会長 木村昌平 氏 【特別講演】 「世界に羽ばたいたRuby 〜日本の開発者が世界で活躍するための条件〜」 ・ネットワーク応用通信研究所/楽天 技術研究所 フェロー まつもとゆきひろ 氏 ・稚内北星学園大学 教授/日本Javaユーザーグループ会長 丸山不二夫 氏 【パネルディスカッション】 「討議 SaaSは、真にユーザー利益をもたらすか!?」 ●パネリスト ・大成建設株式会社 社長室 理事 情報企画部長 木内里美 氏 ・ラクラス株式会社 代表取締役社長 北原佳郎 氏 ・NECネクサソリューションズ株式会社 マーケティング本部長代理 兼 マーケティング戦略部長 土師弘幸 氏 ・前 日本貿易振興機構ニューヨークセンター IT部ディレクター 渡辺弘美 氏 ・ウイングアーク テクノロジーズ株式会社 代表取締役社長 内野弘幸 氏 ●モデレータ ・アイティメディア株式会社 代表取締役会長 藤村厚夫 |
日時 | 2007年11月29日(木) |
会場 | 目黒雅叙園 2F |
参加費 | 無料(事前登録制) 定員1000名 |
主催 | MIJSコンソーシアム |
後援 | 経済産業省(予定)、総務省(予定) ASPインダストリ・コンソーシアム・ジャパン、ITマネジメント・サポート協同組合 |
協賛企業 | NEC、NTTコミュニケーションズ株式会社、日本オラクル株式会社、 株式会社日立製作所、富士ゼロックス株式会社、マイクロソフト株式会社 |
メディア協力 | ITmediaエンタープライズ、IDGジャパン、@IT、EnterpriseZine、ZDnet Japan、 Software Design、BCN |
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提供:MIJSコンソーシアム
企画:アイティメディア営業本部/制作:ITmedia エンタープライズ編集部/掲載内容有効期限:2007年11月29日