「キーボード派は今の作業が終了しないうちに次々のコマンドをかなり先まで打ち込んでおくことができるのに、マウス・メニュウ派は、メニュウが現れてくれないうちはなにもできないもどかしさがあるということだ」(『けん盤配列にも大いなる関心を』原文ママ)――入力インタフェースとしてのキーボードに並々ならぬ思いを持っていた和田氏。
日々何とかならないものかと考えを巡らせていた同氏に、PFUの社内誌「PFU Technical Review」に載せる招待論文の執筆依頼が舞い込んできました。自分が考える最高のキー配列を持った小型のキーボードがほしい、そんな思いを抱いていた同氏にとって、この話は問題喚起という意味でまたとない機会だったようです。
そのとき書かれたものが、上述した「けん盤配列にも大いなる関心を」です。当時ころころと変わっていたキー配列と、大型化の一途をたどるキーボードに冷静なもの言いながら思いの丈をぶちまけている和田氏の様子が目に浮かびます。
この流れは、世界を巻き込んでいくことになります。当時PFUの専務だった新海卓夫氏との出会い、そして、1995年にWIDEプロジェクトの研究報告書として書かれた「個人用小型キーボード」(psファイル)さらに、前後の経過も併せて記された「個人用小型キーボードへの長い道」などを読むと、和田氏の思いがいかにして製品化へとつながっていったのかを知ることができます。
そして、和田氏の夢であったキーボードが、「Happy Hacking Keyboard」(HHK)として1996年12月に発売されました。日本最初のハッカーとも呼ばれる和田氏は、このキーボードに「キー坊」という名も秘かに用意していたことが知られていますが、「Happy Hacking」というこのキーボードを用いることで得られるユーザー体験を見事に表現した名前もまた芸術的だといえるのではないでしょうか。最近のブラウザ周りでは、ユーザーエクスペリエンスとかUXとかいう言葉もよく聞きますが、入力のためのインタフェース、しかもハードウェアレベルでのユーザー体験のすばらしさを筆者に強く印象づけたのは、HHKでした。
もちろん、Happy Hacking Keyboardが万人に合うかといえば、それは分かりません。価格も一般的なキーボードに比べれば確実に高いです。しかし、そこには機能美が凝縮されており、使い込めば込むほど、「そうか、これはこういう意図でそうしたのか」という、和田氏がいつか通ったであろう道を追体験したかのような気持ちになれるのです。そんなとき、筆者は思わず襟を正してタイピングしたくなります。
和田氏は今年で77歳。しかし、今でも精力的に活動を続けておられます。最近では、スラッシュドットが企画した11月11日のバイナリデーに、コメントを寄せています。
最後は和田氏が「個人用小型キーボード」で記したこの言葉を記しておきたいと思います。今日でもパソコンを買うとキーボードもついてくる状況をみると、和田氏の夢は道半ばということなのかもしれません。
アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠をあるこうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインターフェースだからだ。
パソコンが5万円にもなろうとするのに、キーボードが3万円もしていいのかと質問されるが、いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切なインターフェースであることを忘れてはいけない。
パソコン、ワークステーションを買い代えるたびに新品のキーボードがついてくるのがおかしかったのである。手に馴染んだキーボードは末代まで使い、パソコン買ってもキーボードはついてこないという時代に早くしたいものである。
余談ですが、WIDEの用語集には、「こわれた・きーぼーど」という項があり、以下のようなものを指してそう呼んでいたようです。
当時、多くの方が同じような思いを持っていたというのも面白いですが、この定義に沿ったキーボードがいまでも標準的に使われているのは面白いですね。若いころ、Sun3などを使っていた方に今のキーボードはどう思うかぜひ聞いてみたいです。よろしければ下のフォームから教えてください。
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