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「焦っていた」 任天堂を辞め、フィギュア写真投稿サイト「fg」を始めた理由(1/2 ページ)

「Wii Fit」などのヒット作を手掛けながら、内心焦っていた。ニコ動やpixivの盛り上がりをうらやましく感じた岡本基さんは、任天堂を辞め、フィギュア写真投稿サイト「fg」を作った。

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 「こんなことやってて、いいのかな」――ゲームとネットが好きという岡本基さん(33)は、任天堂で「Wii Fit」などのヒット作を手掛けながら、内心焦っていた。「ニコニコ動画」や「pixiv」の盛り上がりに刺激を受け、ネットの世界をうらやましく感じた。

 「清濁併せ飲むネットの世界で、踏み込んだサービスを作ってみたい」という思いがどんどん膨らんでいった。「脂がのっている30代のうちに、ネットに関われないのは寂しい」とも。約10年間働いた任天堂を離れ、起業を決意した。

 昨年5月に「エンタースフィア」という会社を設立。昨年10月に始めたフィギュア写真投稿サイト「fg」が好調だ。オープンから約9カ月で、会員は約1万8000人。「ネット企業として後発なので、変なことをいっぱいやって、新しいサービスをどんどん出していきたい」。岡本さんは今、燃えている。

東大の男子寮でゲーム三昧

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岡本さん

 「ゲーム機はすべて持っている」ほどゲーム好きだ。東京大学工学部でCGなどを研究していたが、学校にはあまり行かず、朝から晩までゲームで遊び、1本のソフトを200時間やりこんだという。アルバイト先もゲーム会社。ゲームの企画を大手ゲーム会社に持ち込んだこともある。

 大学の男子寮に住んでいた。「廃墟みたいな」建物で、ほかの学生2人と相部屋での生活。周りにもゲーマーが多く、よく寮でゲーム大会を開いた。「東大では落ちこぼれでした」と笑って振り返る。

 「『NINTENDO64』のゲームが大好き」だった岡本さんは卒業後、任天堂へ入社した。当時は東大からゲーム業界へ進む人は珍しかったという。宮本茂専務が率い、ゲームソフト開発の中核を担う「情報開発本部」という部署に配属された。

 最初の3〜4年はプログラマーとして働き、その後はゲームの仕様を決めたり企画を立てるプランナーの仕事を任された。岡本さんが関わったソフトは「はじめてのWii」や「Wii Fit」など。「普段は運動しないのになあ――なんて思いながら、Wii Fitを使ったトレーニングを考えていました」

任天堂を辞めた理由

 岡本さんは「ネット大好き人間」でもある。就職してからは、ゲームをする時間が徐々にネットに奪われていた。ネットのやりすぎで周りの人に「いつ寝てるんだ」と聞かれたほどで、「ネット好きは部署内でも有名だった」という。

 「ニコニコ動画」や「pixiv」の盛り上がりを見て刺激を受け、次第にネットの世界をうらやましく感じるようになった。ゲームとSNSを組み合わせた「モバゲータウン」や「GREE」の人気が高まっていることや、オンラインゲームが増えていることから、「これからはゲームがネットに飲み込まれるんじゃないか」とも感じていた。

 任天堂での仕事は楽しかったが、「10年後を考え、こんなことやってていいのかなと焦っていた」と打ち明ける。「脂が乗っている30代のうちに、ネットに関われないのは寂しい」という思いが大きくなっていった。

 任天堂でネットに関わる仕事をするチャンスはゼロではない。だが任天堂は「ファミリー向けブランドが強く、清濁併せ飲むネットの世界で、自社で踏み込んだサービスをやることに抵抗感のある組織。pixivのようなサービスはやれない」と見ていた。

 「ネットに関して進んでいる企業ではないし、パッケージソフトの仕事を完全に抜けられない。かったるいなと思った。入社から10年経ち、Wiiシリーズの開発で会社にも貢献できたので、次のステップへ進もう」――岡本さんは独立を決意した。

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