ある営業コンサルタントの実体験をもとにしたビジネス小説「奇跡の無名人たち 震える膝を押さえつけ」――。本部から押し付けられた体制では、1週間の営業成績がゼロだった。営業所の所長・吉田和人の奮闘が始まる。
マイラインの営業でエリアトップになったこともある吉田和人。営業は根性や経験ではない、というのが和人の持論だ。和人の作った営業ツールを使えば、素人でも営業所のトップクラスの成績を上げる。
「また営業所長をお願いできないですか」――某電話会社からの一本の電話を和人が受けたのが発端だ。「優秀なメンバーを集めましたから」という触れ込みだったが、実際に集まったのは、チベットからの出稼ぎ男、30代後半のシングルマザー、海外暮らしが長いクオーターの女性、大手企業ばかり営業したい2人組、外出したくないイケメン、人と話をするのが嫌なプログラマー、本部の人事にやたら詳しい男、8人。
月のノルマは350回線。最初の1週間の営業成績は0回線だった――。
このまま本部から押し付けられた体制で進めていっても結果は全く出ないに違いない。少なくとも月のノルマを達成するのは難しい。1週間の営業成績はゼロ。立て直すには、体制と営業ツールの見直しが必須だ。和人は以前マイラインでトップ営業だったころの経験を振り返ってそう考えた。
ただ、前回は一介の営業マンだった。だから結果を出せば何でもありだった。今回は営業所長、すなわちマネージャーだ。それが勝手なことをしてもいいものか?
しかも、営業所長といっても雇われ所長。体制や営業ツールを変える権限はない。本部の指示通りにやっているか監督するのが役目のほとんどと言えた。だったら、オレである必要があるのか? この1週間、何度も煩悶したが結論の出ないことだった。
和人は営業部員にあだ名を付けていた。チベット好きのロバに似た男は「ロバさん」。シングルマザーで高校生の息子のために営業所に働きに来た女性は「マザー」。バイリンガルの若い女性は「クオーター」。ロクに営業経験もないのに大企業ばかり行かせてくれという2人組み(タカシとショージ)は「大口兄弟」。外出したくないイケメンは、そのまま「イケメン」。元プログラマの鍼灸師は、PCやネットワークに詳しいので「オタク」。本部の人事にやたら詳しい男は「ジンジ」。
和人はとうとう決断した。体制を変えることにした。2週目の最初の朝礼で、全員に宣言した。
「1週間経ちました。営業成績は見事にゼロ。これまでのエリア別のチーム編成ではどうやら、皆さんの力が発揮できないようで。やり方を一新することにしました」
会議室がざわざわした。
「マザーとクオーター。2人は個人向けだけをやってください。チーム名は『仲良しチーム』」
2人がほっとした顔をした。
「次に、ロバさんとオタク。中小企業をお願いします。ここは『ロバさんチーム』」
ロバさんとオタクが顔を見合わせた。
「タカシとショージは、大企業をお願いします。ここは『大口兄弟チーム』」
おバカ同士である。ハイタッチしている。
「イケメンとジンジは、営業所に残って営業サポートをお願いします。アポ取りや問い合わせ対応が主な役割です。資料作りは、営業事務の2人に手伝ってもらって構いません」
「コミッション(歩合)はどうなるんですか?」。イケメンが慌てて聞いた。
「それは公平に分担するから心配なく。サポートにもコミッションは配分します」
ようやく全員が納得したようだ。和人は一言だけ付け加えた。「それから、ジンジ。このことは本部にはくれぐれも内緒ということで」
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