努力だけしかできない人はチームに必要ないサイボウズ式(1/2 ページ)

頑張る人は立派な人と評価しがちですが、ちょっと待って。その頑張りは、本当に結果に結びついていますか。結果が伴わないなら、「努力すること」自体が目的化している可能性があり要注意です。

» 2014年04月17日 11時00分 公開
[サイボウズ式]

「サイボウズ式」とは

「新しい価値を生み出すチーム」のための、コラボレーションとITの情報サイト。

サイボウズ式」で掲載した記事「努力だけしかできない人はチームに必要ない」を一部抜粋・編集して掲載しています。本記事では、「脱社畜ブログ」の日野瑛太郎氏がチームワークの観点から日本人の働き方を考えます。


 先日、大学時代の同級生と久々に会う機会がありました。

 卒業してからだいぶ時間がたっていますので、多くの人はもう会社で「後輩」を指導する立場になっているようです。後輩の指導は、上司や先輩とよい関係を築いたり、あるいは自分自身の仕事を推進する場合とはまた違った苦労があると聞きます。実際、いろんな人から「うちには、こんな困った後輩がいる」という話を聞きました。

 その中でも、とあるIT系の会社に就職した友人が指導することになった後輩の話は、聞いていて思わずめまいがするような話でした。

 今日はそんな「困った後輩」の話からはじめたいと思います。

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一緒に仕事をするとかならず残業になる後輩の話

 友人が指導することになった後輩は、別に人格が破綻しているであるとか、サボり癖があるだとかそういうことは全然ないそうです。

 むしろ、彼は大変な努力家で成長意欲も高く、仕事はサボるどころか人の何倍も率先してこなそうとしているとのことです。そういう「やる気」に満ち満ちた姿勢のおかげか、チームの外には彼を肯定的に評価している人も少なくありません。

 もっとも、友人を含めて彼と同じチームの人は、みんな彼には困っているそうです。

 「彼と一緒に仕事をすると、かならず残業になり、最悪の場合休日出勤までする羽目になる」と、友人は疲れた顔で語りました。

 例えば、とある資料の作成をその後輩に任せたとします。

 仕事を任せられた後輩は、毎日遅くまで会社に残って「頑張って」資料を作成します。

 それですばらしい資料を作ってもらえるなら問題ないのですが、実際に出てくる資料はページ数ばかりが多く冗長で、しかも肝心な部分が抜けていたりします。「作るのに時間がかかってそう」なことは伝わってくるものの、読んだだけでは何を言いたいのかもよく分かりません。そのままではとても使えそうにないので、最終的には指導役である友人がほとんど作り直したりすることになります。

 自分の仕事に加えてこのようなフォローまでしなければならないため、友人の帰宅時間はどんどん遅くなります。一度、厳しく指導しなければならないとは思うものの、毎日遅くまで「頑張っている」姿勢を見せつけられると、辛辣な言葉を投げかけるわけにもいかなくなり、いつも困っているそうです。

 なぜ、こんなことになってしまうのでしょうか。

 問題の根本は、その後輩が「大変な努力家」であるところにあるように僕には思えます。

成長を焦るあまり、努力が目的化する

 一般的に、「努力する人」は立派な人だと思われる傾向にあります。一方で、「努力しない人」は残念な人だと思われます。

 たしかに、努力は大事なことです。どんな分野であれ、偉大な業績を残す人はみんなどこかで必ず努力をしているものです。努力する人が立派だと思われること自体は全然悪いことではありません。

 もっとも、中にはこれを勘違いして「努力すること」自体が目的化してしまっている人がいます。何のためにやっているのかはあまり考えずに、とにかく努力さえすれば成長できると考えて、非効率なやり方で何時間も頑張ってしまう――前述の友人の後輩のケースも、実はこれに該当するのではないかと考えられます。

 友人が指導することになった後輩は、毎日ものすごく頑張って遅くまで働いている割に、仕事の進ちょくは芳しくありません。

 任せた仕事が終わるのがあまりにも遅いので状況を確認すると、やらなくてもいいことや重要でない部分に時間をかけすぎていたということも多いといいます。

 一方で、成長意欲はとても高く、日頃から「成長したい」と口癖のように呟き、残業や休日出勤をすること自体には何の抵抗もないようです。むしろ、残業や休日出勤は率先してやっている気配すらあるそうです。どうやら、彼は典型的な「努力すること」自体が目的化してしまった人のように思えます。

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