努力だけしかできない人はチームに必要ないサイボウズ式(2/2 ページ)

» 2014年04月17日 11時00分 公開
[サイボウズ式]
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 一番不幸なのは、こういった非効率な働き方に巻き込まれて、一緒に残業や休日出勤をする羽目になってしまう彼と同じチームの仲間です。

 友人は、この後輩に効率的な働き方を教えようと奮闘しているようですが、チームの外には彼を肯定的に評価している人もいるがゆえに、なかなか指導がしづらいと嘆いていました。こういうタイプの人が「ウケる人にはウケてしまう」のも、問題を難しくしています。

「努力それ自体」はまったく評価に値しない

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 このような困った後輩が出てきてしまうのは、結局のところ「努力それ自体」が評価されてしまっているからです。

 本来、努力はあくまで手段に過ぎません。

 何か達成したい目標(ゴール)が前提としてあり、その目標達成のために必要になってはじめて努力をするのです。仮に、その努力が目標達成にほとんど貢献しないようなものだったら、そんなものは評価をするに値しません。あくまで、仕事の評価は「努力それ自体」ではなく「目標達成への貢献度」によって判定すべきです。

 前述の後輩のケースで言えば、「努力それ自体」は評価に値しないことを周囲・本人ともにしっかり認知する必要があります。毎日毎日、遅くまで会社に残っている姿を遠目で眺めて「あいつはいつも頑張っているなぁ。えらいなぁ」で済ませては絶対にいけないのです。

 「徹夜して20ページの使えない資料を作るよりも、5ページの実際に使える資料を作って定時に帰るほうが何百倍もチームに貢献している」と、一度本人にはっきり言わなければなりません。

印象ベースの評価をさせない仕組みをつくれ

 メンバーが「努力それ自体」ではなく「目標達成への貢献度」で評価されるようにするためには、前提としてチームの目標そのものも見直す必要があります。

 あくまでチームの目標は定量的で達成度の客観的な判定が可能なものを設定しなければなりません。例えば、「ユーザー継続率X%向上」なら定量的ですが、「ブランド価値の向上」では不十分です。

 定量的でない目標では、達成度を判定することができません。

 達成度の判定が客観的にできないようでは、評価はどうしても印象ベースになります。つまり、「頑張っている人」が評価されるようになってしまうわけです。

 テキパキと仕事を済ませてさっさと帰る人よりも、非効率な方法で残業や休日出勤をする人が評価されるようなチームが、果たして健全だと言えるでしょうか?

 過激な言い方をすれば、努力「だけ」しかできずに、チームの目標達成に一切貢献できないような人は、チームにいても意味がないということになります。そういう人を評価してしまうことは、チームにとって本当に必要な人を害することにもつながります。

 努力をするなら、チームの目標達成に貢献できる形で努力しなければなりません。目標達成に貢献しない努力は、単なる自己満足でしかないのです。

(執筆:日野瑛太郎)

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