“不謹慎狩り”の背景にあるもの それは共感と共有のディストピア(1/4 ページ)

» 2016年05月02日 13時31分 公開
[堀田純司ITmedia]

 災害時に寄付を公表した人までが批判にさらされる「不謹慎狩り」が注目を集め、「ネット社会は、不寛容だ」と言われます。実際、確かにそうした傾向はあると個人的にも感じます。

 「そんな世の中は息苦しい」という反動は以前からあり、例えば、先日は「寛容」をメッセージとして込めたという、日清食品「カップヌードル」のCM「いまだ! バカやろう!」が放映されました。が、これはご存じの通り、ほどなく放映中止となってしまいました

 恐らく、相当の批判があったのでしょう。この経緯は、現代社会の「“寛容”は支持されづらい」という傾向を示していました。

 本来「寛容な世の中を」「バカやることも大事」というメッセージは、万人に共感されてもおかしくないメッセージのはず。一昔前であれば、“ちょっと挑発的だけど実はけっこう無難”くらいの、「鉄板」なイメージ提起であったろうと思います。

photo カップヌードルのCMは放映中止になった=動画より

 だが、なぜ支持されないのか? なぜ「不謹慎狩り」が起こるのか。その背景には、厳しい現代事情があり、それを実感しないままに「寛容であれ」「息苦しいのはやめよう」と言っても「かえって反発されるだけだったのではないか」と、私などは思います。

 その事情とは「すでに現代社会はディストピアである」という現実。SNSが台頭した現代社会で、もっとも重視される価値は「共感」と「共有」。これはいいことでもあるのですが、その一方で、「一度、共感の輪から転落するとめちゃくちゃ叩かれる」という、息苦しさを持つ。

 コンテンツ分野を見る限り、現代人はすでに、この「共感のディストピア」に暮らしている。こうした現実を踏まえた言葉でないと、それこそ「共感されない」。

「絶望」がキーワード

 現代の人気コンテンツの大きなキーワード。実はそれは「絶望」です。

 講談社の漫画誌「別冊少年マガジン」が「希望よりも絶望を」というコンセプトを持っていたという話は有名ですが、この雑誌からは累計発行部数5000万部を越える大ヒット作品「進撃の巨人」(諫山創)が生まれています。

 「進撃の巨人」は、人類は巨人のえさとなり領土は大きく後退。巨大な壁を築きその中で平和を保っていたが、ある日崩れ落ちる──という「絶望的」な設定から始まりました。

 この作品はアニメ化、実写映画化と多様なメディアミックス展開が行われていますが、同じくアニメ化、実写映画化される作品では「テラフォーマーズ」(原作・貴家悠/漫画・橘賢一、ヤングジャンプ)も、負けずに絶望的です。

 「テラフォーマー」とは火星で異常進化を遂げたゴキブリで、圧倒的な生命力を持つ上に、知能まで高い。「人類なめんなよ!」とは思いますが、並みの人類が彼らと相対すると、待ち受けるのは即死する運命のみ。

 また「暗殺教室」(松井優征、少年ジャンプ)、「リアルアカウント」(原作・オクショウ/漫画・渡辺静、少年マガジン)など、「殺人ゲーム」や「サバイバルゲーム」を扱った作品も広く支持されていますし、その一方で、人間の狂気や残酷さに踏み込んだ「ダークファンタジー」も人気を博しています。

photo 「絶望的」な設定から始まった「進撃の巨人」
       1|2|3|4 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.