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» 2019年09月19日 07時00分 公開

観光客激減、大富豪が“脱出”:“香港消滅”へカウントダウンも デモの裏に潜む「東洋の真珠」の地位失墜 (1/3)

激しいデモと混乱が続く香港。その裏側は中国内での香港の経済的地位の失墜があった。大富豪らが“脱出”を図る動きも。

[信太謙三,ITmedia]

 香港の混乱が収まらない。刑事事件容疑者の中国本土への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」の改正を巡り人口約750万の香港で市民が猛反発し、6月16日には主催者発表で200万人がデモに参加した。

 その後も市民らによる示威活動は一向に止まらず、警察部隊の催涙弾・ゴム弾とデモ隊の火炎瓶が飛び交い、負傷者が続出する場面もあり、香港政府の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は9月4日、同条例改正案の撤回に追い込まれた。しかし、市民らはそれだけでは納得せず、林鄭長官の辞任や普通選挙の実施などを求め、デモやスト、授業ボイコット、手つなぎ行動、空港などでの座り込みといった示威活動を続けている。

photo 収まる様子を見せない香港のデモ。世界にSOSを発信し続ける(9月、香港の英国大使館前。提供:ロイター)

 「香港を取り戻せ!」「香港頑張れ!」――。若者たちはSNSを使って集まり、さまざまな場所で示威活動を繰り返し、声を張り上げる。顔には黒や白の大きなマスク。催涙弾対策であり、人工知能(AI)技術を使った顔認証で逮捕されないためだという。

 若者を中心に驚くほど多くの香港市民が「逃亡犯条例」の改正反対に立ち上がり、今も示威活動を続けているのは「このままでは自分たちの自由な香港が無くなってしまう」という強い危機感があるからだ。

「中国のいち都市」に堕ちた香港

 ただ、「東洋の真珠」といわれた巨大都市香港も、北京からみると、今や中国の大都市の1つでしかなく、中国共産党・政府には「香港も中央の統制下にしっかりと組み入れられるべきだ」との思いがある。

 英国の植民地だった香港が中国に返還されたのは1997年7月1日。英国は、香港の約90%を占める新界地域が99年間を期限にした租借地だったため、アヘン戦争などによって割譲された香港島、九龍半島も含め、香港を中国に引き渡した。その際、中国が英国の求めに応じて香港市民に約束したことがある。現行の資本主義を認める「一国二制度」、香港市民の自治を認める「港人治港」、そして「50年間不変」などである。

 中国は当初、これらの約束を忠実に守ってきた。同国が海外の資本や技術の導入に全力をあげ、香港がそのためのゲートウェイとしての役割を果たしていたからにほかならない。

 しかし、返還当時、中国の約2割近くもあった香港の経済規模は、GDPでみると、今や中国の2〜3%。海外の資本や技術が香港を経由せずにどんどん中国に入っていくようになり、中国ビジネスの拠点を北京や上海に開く外資系企業が圧倒的に多くなった。香港支店は華南地域をカバーする存在となり、その役割を広州に移すところもでてきている。

 現地をみれば一目瞭然だが、香港と境界を接する広東省深セン市は香港に劣らない近代的な大都市に成長した。筆者は改革開放政策がスタートした翌年の79年3月から約3年間、香港に駐在したが、当時の深セン中心部はまったくの田舎街。そこに今や高層ビルが林立し、人や車があふれ、深セン市のGDPは17年、香港を上回った。

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