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» 2020年03月07日 04時10分 公開

征夷大将軍になり損ねた男たち:NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で注目! 「実質的な天下人」という道を歩んだ三好長慶 (1/2)

織田信長、豊臣秀吉、明智光秀……。武家の最高位「征夷大将軍」の座を逃した歴史人物に学ぶ組織に生きる現代人に役立つ教訓をお届けする。第4回目は細川晴元と覇権を争う三好長慶を取り上げる。

[二木謙一,ITmedia]

 大河ドラマ「麒麟がくる」(長谷川博己主演)は初回放送以後、視聴率13%台を維持している。主人公・明智光秀には「裏切り」のイメージが付きまとうが、足利将軍の権威が失墜した戦国時代は文字通り「下剋上」の時代であり、天下人を目指す人物が登場してもおかしくはなかった。武家の最高位といえば「征夷大将軍」であるが、光秀も本能寺の変の後に、実は将軍宣下を受けていたとする説もある。

 2月23日放送の第6回「三好長慶襲撃計画」では、細川晴元と覇権を争う三好長慶(みよしながよし)という人物に注目が集まった。長慶は下剋上の時代の代表的な人物として日本史教科書などに登場するものの知名度は低い。大河ドラマでは将軍の権威が落ちた時代における「実質的な天下人」という姿が描かれ、名前がそのまま第6回タイトルにまでなっていて、あらためて長慶の存在が気になった人も多かったであろう。

 これまで「花の乱」や「軍師 官兵衛」など14作品のNHK大河ドラマの時代考証を担当してきた著者による異色の人物日本史、近刊『征夷大将軍になり損ねた男たち――トップの座を逃した人物に学ぶ教訓の日本史』(二木謙一編著、ウェッジ刊)では、光秀をはじめ、人望、血統、派閥、不運、病魔、讒言(ざんげん)などの理由で、将軍になり損なった47人の人物をクローズアップ。どの事例も歴史ファンに限らず、組織の中に生き、閉塞感漂う時代に好機を見いだしたいビジネスパーソンにも通じることばかりだ。

 今回は、実質的な天下人であった三好長慶の実像についてふれる。

photo NHKの大河ドラマ「麒麟がくる」(NHKのTwitterより)

下剋上の時代、細川政権を崩壊させた三好長慶

 室町幕府の管領(かんれい)細川氏の被官(ひかん)である三好氏は、鎌倉幕府の御家人で信濃国の小笠原氏の支族である。承久の乱の後に小笠原長房(ながふさ)が、阿波国守護に任じられて阿波に土着し、三好氏を名乗るようになった。室町時代に入ると国人化し、阿波守護の細川氏を支える存在であったが、細川氏と抗争することもあった。

 大河ドラマにも出演している細川晴元(はるもと)は、家宰の三好元長(もとなが)に補佐されて、大永7年(1527)に足利義維(よしつな)を阿波から招き、次期将軍候補に擁立。だが、義維は将軍になれずに、5年後に阿波に戻ることになった。

photo 三好長慶(Wikipediaより)

 元長は前管領、細川高国を滅ぼすと専横するようになり、晴元は元長を恐れるようになる。享禄5年(1532)に晴元は一向一揆の力で元長を自害に追い込むも、晴元にも一向一揆を抑えられなくなり、「享禄・天文の乱」に至った。

 元長の妻と子で12歳の千熊丸(ちくままる)は、騒乱のために阿波に帰されていたが、千熊丸は細川晴元への恩讐を越えて、一向一揆と晴元の和解を斡旋。千熊丸に才覚があっても幼少のため、千熊丸の周辺の者が奔走したと思われる。

 この後に千熊丸は元服して長慶と名乗ることになった。だが、長慶が頭角を現すと主君の晴元は脅威に感じ、側近の三好政長とともに長慶に対抗するようになる。

 天文17年(1548)、長慶は前管領、細川高国の養子氏綱(うじつな)を擁して反晴元の兵を挙げ、翌年に三好政長を滅ぼすと、晴元は前将軍足利義晴と13代将軍義輝父子とともに近江に逃れる。天文19年に長慶は摂津国を平定。約20年の間京を支配した、細川晴元の政権を崩壊させた。

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