さまざまな課題にぶつかりながらも、多彩な発想とバイタリティーで業績を伸ばしてきた山城社長。鋭い経営感覚はどのようにして磨かれたのだろうか。
山城社長自身は、東京出身だが「何もないところから事業を生み出し、楽しそうに夢を語る父からいつも刺激を受けていました」と話す。自身も慶應義塾大学の環境情報学部で経営学を学んだ。研究対象は文化の作り手と受け手をつなぐ役割を担う「アートマネジメント」。このテーマを選んだきっかけは、高校時代の米国留学で知り合った友人の存在だった。
「その友人は絵の才能がありアーティストとして活動しているのですが、自分でPRしてブランド化していくということが苦手でした。そばで見ていて『こんなにすごいアートを生み出せるのに、世の中に認められるのはこんなに難しいんだ』ということを感じ、才能ある無名のアーティストらをいかに売れる仕組みに乗せていくかというアートマネジメントを学びました。だから、私の根源にあるのはそういう才能や可能性のあるものを、いかに世の中に出していくかという事に対する興味なんです」
この好奇心は、海ぶどうに対しても敏感に反応した。
「父が海ぶどうを扱い始めた頃は、まだ世の中でもほとんど知られていない食材だったので、それを世界ブランドにするという考えは直感的に『いいな』と思いました。当時私は大学生でアートマネジメントを研究していて、海ぶどうの持つ可能性と自分の興味、関心が合致したんです」
卒業後は電機メーカー大手のソニーに就職。海外工場にも頻繁に足を運ぶなど物流関係の業務に3年間従事し、25歳の若さで早々に日本バイオテックに転職した。
「ソニーは本当に素晴らしい社員が多く、あそこにいれば安定した幸せなキャリアが送れていたと思いますが、私はある程度将来が見えてしまうことに対してワクワクを感じない性分なんです。父が一から事業を興していったように『見えない世界を見たい』という気持ちが強いですね」。転職後は営業で首都圏の販路拡大を担い、2009年には沖縄に移住して生産現場も見るようになっていった。
経営に携わる内に、新しい事業を生み出すための思考法も確立していった。ポイントは、課題を脳内に「点」として残しておくことだという。
「生産の効率化や廃棄の活用法など課題がいろいろある中で、それらはすぐに解決できないにしても、課題のままで脳内に置いておくんです。頭の中の構造としては、そういう課題がポンポンポンと点のようにあって、解決に向けて目的やタイミング、一緒にやる人などがマッチングした時に点と点がつながり、具現化に向けて進んでいくというイメージです」
アイデアの源泉は「課題」にあり。コロナ禍に入って即座に販路をB2Cに切り替えたり、コロナ禍が落ち着いたタイミングで立て続けに新規事業を仕掛けたりするスピード感は、この思考回路が根っこにあるからなのだろう。常に課題に目を向けて準備ができているからこそ、状況の変化に応じた新たな一手が打てるのだ。
陸上養殖を事業化するに当たり、昨年度から行政に対する届け出が必要になったばかりの海ぶどう。効率的な生産方法や市場の広がりも含めて「まだまだスタートアップのような産業です」と語る山城社長。「生産量を伸ばすことと、自分たちでマーケットを作ることの両輪で進める必要があるんです」と苦労も多いが、そう話す表情には満面の笑みが浮かび、実に生き生きとしている。
事業は拡大基調にあるが、海ぶどうを世界ブランドに押し上げるためのチャレンジはまだ道半ば。夜中に成長点(芽)が出ると、翌朝にそこからプツプツと房が膨らんでいく海ぶどうのように、脳内には次なる仕掛けが既にポツポツと浮かんでいるに違いない。
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