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「月100時間残業」当たり前 離職者続きの製版所、どうやって「働き続けたい会社」に生まれ変わったのか

» 2025年03月11日 08時30分 公開
[大久保崇ITmedia]

 残業100時間が当たり前、深夜2時入稿、朝6時納品、携帯電話は枕元に常備──。そんな「ブラック企業」だった浅野製版所(東京都中央区)が、わずか10年間で「働き続けたい企業」へと大きく変貌した。その原動力となったのが「健康経営」への取り組みだ。

 今では、年間休日120日、月平均残業時間7時間、有給休暇取得率93%を達成している。当時高かった離職率も大幅に改善された。

残業100時間が当たり前だった、浅野製版所(画像:浅野製版所提供)

 健康経営によって会社の昭和体質を180度変えた、新佐絵吏氏(事業開発部 部長 兼 健康経営推進チーム)がたどり着いた、健康経営の本質とは。労働力減少時代をどう生き抜くか、同社の事例から探る。

会社は「イケイケどんどん」全盛期 だが、残業は月100時間で社員は疲弊

 「15年前の話だが、午前2時(26時)に入稿、午前6時(30時)に納品という生活だった。少し仮眠したら、そのあとすぐ午前9時から就業開始。朝は部屋の脇に先輩社員が転がっていたよ」――創業88年の老舗製版会社、浅野製版所の勤続15年以上のベテラン社員から聞いた当時の実情だ。

 当時の同社の主なクライアントは広告代理店や新聞社など。情報発信源として大手メディアの力が強く、世の中に出る広告の最終調整を担う製版の仕事は右肩上がりで増えていた。

 そして2000年ごろ、広告業界のデジタル化という波に乗り、同社は「イケイケどんどん」の全盛期を迎えた。仕事は増え、利益は上がったが、そのしわ寄せは長時間労働という形で社員に重くのしかかっていた。

広告業界のデジタル化により、同社は全盛期を迎えた(画像:ゲッティイメージズより)

 その状況に危機感を抱いた同社は、2005年ごろから組織改革に着手。品質・情報・環境の3つのISO認証を取得し、評価制度の整備や研修体系の構築など、大企業並みの制度作りを進めていく。

 「当時としては珍しく、中小企業でありながらISOを3種類も取得するなど、これから会社を大きくしていこうという意気込みはありました」と、2012年に入社した新佐氏は話す。

 「ただ、私が入社した時点で、制度は整っているものの形骸化が進んでいました。社長には会社をよくしたいという熱い思いがあったのですが、従業員はその思いについていけていない。評価制度も研修も、忙しさを理由に形だけのものになっていたのです」

 事態が動いたのは2007年ごろだ。顧問の社会保険労務士から「従業員全員の残業時間が月100時間を超えている」との忠告を受けたことがきっかけだった。これを機に、当時専務だった現社長の浅野光宏氏は3年がかりで就業規則の見直しや労働時間の適正化に取り組んでいく。

 しかし、トップダウンでの制度整備だけでは本質的な解決には至らなかった。実際、新佐氏の入社時も多くの社員が月に70時間超の残業をしていたという。同社が真の改革への一歩を踏み出すきっかけとなったのは、新佐氏が着手した「全社員面談」だった。

社員面談から見えてきた組織の課題

 全社員面談は「まずは社員の声を聞いてみる」という単純な取り組みだが、そこから見えてきた課題は予想以上に根深いものだった。

 「手伝いましょうかという声掛けがない」「もっと生き生きと仕事がしたい」。社員たちの声からは、コミュニケーション不足や仕事への意欲の低下が浮き彫りになった。

 さらに面談から見えてきたのは「わずか40人の会社でも、望む就業環境は千差万別」ということだ。早く帰宅したい社員、もっと働きたい社員、仕事と家庭の両立を望む社員など、多様なニーズが存在していた。

 「社員の要望を整理していく中で、『全員が満足する会社』を作ることは現実的ではないと気付きました。多様な働き方を認め、社員がどんな状況であっても働き続けられる職場を作っていく。それが事業継続の観点からも重要だと考えました」

 この方針のもと、年間休日の増加や残業時間の管理強化など、具体的な施策を展開していった。しかし、制度の整備だけでは十分な効果は得られなかった。特定の社員への業務の集中や、新たな制度に対する現場の戸惑いなど、予期せぬ課題も浮上してきたのだ。

 「制度を整えることは大切ですが、それを運用していく組織の体制や風土作りがもっと重要でした」と新佐氏は振り返る。そこで同社は、単なる制度作りから一歩踏み込んだ「健康経営」という新たなアプローチを模索し始めた。

健康経営が変えた、働き方と業務 子育てとの両立も

 「健康経営の目的は、社員を健康にすることではありません。企業が働きやすい職場環境を作り、社員が元気に働き続けられる。それによって組織が活性化し、生産性が向上する。そして最終的に企業価値が上がっていく。それが健康経営の本質です」と新佐氏は説明する。

 この考えのもと、同社はまず「やらなくていい仕事」の洗い出しから始めた。長年の慣習で続いていた紙ベースの作業工程や不要な社内メールの定型文など、業務の流れを阻害する要素を徹底的に見直していった。

 同時に、働き方の柔軟化も推進した。午前7時から午後8時までの間で5つの勤務時間帯を設定。取引先にも協力をあおぎ、社員が自身の生活スタイルに合わせて選択できる体制を整えた。さらに、営業・管理部門では在宅勤務との併用も可能にした。

 「多様な働き方を認めることで、子育てや介護との両立も実現しやすくなりました」と新佐氏は語る。現在では社員の約5割が在宅勤務を併用している。

 取り組みの結果、年間休日120日、月平均残業時間7時間、有給休暇取得率93%を達成。労働時間を削減したが、売り上げは回復基調を維持している。「制度を作っても機能しなかった10年前と比べ、大きな変化を感じています」と新佐氏は手応えを語った。

社員が自発的に「ラジオ体操」の資格取得 まさか、新たな事業の芽になるとは

 全社員面談の内容も、10年の取り組みを経て大きく変化している。2021年の面談では「会社には感謝しかない」「家族から『いい会社だね』と言われた」「この会社で管理職になりたい」といった前向きな声が目立つようになった。

 さらに、健康経営への取り組みから生まれた社員主導のプロジェクトも誕生した。社員の一人が「2級ラジオ体操指導士」の資格を取得し、制作部門の社員と共に自社オリジナルのラジオ体操動画を制作。この取り組みをきっかけに、動画制作のノウハウを蓄積した同社は現在、大手企業の採用動画などビジネス系動画制作を中心に新規事業の展開も始めている。

社員が手探りで作った、初回のラジオ体操動画(画像:浅野製版所提供)

 また、女性社員の声から始まった「女性の健康プロジェクト」も特徴的な取り組みの一つだ。女性社員全員へのアンケートをもとに、健康診断項目の拡充や職場環境の改善を実施。その過程で生まれた「女性の健康あるあるかるた」は、男性社員の意識改革にも一役買っているという。

「働き続けたい会社」が導く、事業継続の道

 「健康経営に取り組む理由は明確です。これからの労働人口減少時代、事業を継続していくためには『社員に長く働いてもらう』しかありません」と新佐氏は力を込める。

 実際、この10年で浅野製版所の平均年齢は32歳から42歳に上昇。社員の家庭環境や健康状態も大きく変化している。育児・介護・通院など、さまざまな事情を抱える社員を前提とした経営が求められる時代となっているのだ。

 「健康経営優良法人認定を持っていることが当たり前の時代がすぐそこまで迫っています。今、認定取得しておかないと『選ばれない企業』になってしまう」と新佐氏は指摘する。

 同社は健康経営優良法人ブライト500(中小規模法人部門)をはじめ、東京都ワークライフバランス認定、えるぼし認定など多数の認証を取得。その結果、現在はリファラル採用のみで採用が可能なほどの「働きやすい企業」としての評価を確立している。

健康経営エキスパートアドバイザーの資格を取得するための社内勉強会。現在は5人が取得している(画像:浅野製版所提供)

 「健康経営は社員の健康だけでなく、職場の風土改革、価値観の転換など、組織全体の変革が必要です。私たちも10年かけてやっと形になってきた段階です」と新佐氏は現状を冷静に分析する。

 日本社会の年齢構成の変化や働き方の多様化が進む中、これまでのような組織運営は立ち行かなくなっている。そんな中で、健康経営は単なる福利厚生の枠を超え、事業継続のための重要な経営戦略として位置付けられつつある。

 「健康経営とは、社員を健康にしてあげるという発想ではありません。みんなで事業を継続し、全員が幸せになって、定年退職まで働き続けられる。それが私たちの目標です」と新佐氏は語る。

 かつて新佐氏は「この会社に入ったらキャリアに傷がつく」と採用面談時に言われたという。当時のいわゆる「ブラック」な企業体質から、小さな挑戦と成功体験を社内で作り上げ、現在は「定年まで働きたい」と社員に思われる企業に生まれ変わった。この10年間の変化は、人手不足時代を迎える日本企業が進むべき道筋を示しているのではないだろうか。

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