松本興産株式会社 取締役(総務・経理管掌)、Star Compass株式会社 代表取締役社長。
北九州工業高等専門学校卒業後、外資系半導体製造装置メーカーに勤務。2010年にスイスのIMIでMBA取得。2015年に松本興産入社、取締役就任。2022年、財務諸表を分かりやすく理解する「風船会計メソッド」を確立し、行政・企業向けに講演活動を展開。「日本中小企業大賞」など受賞多数。
大阪商工会議所が2023年8月に発表した「社会人の必須スキル」に関する調査によると、「企業の経営状況や財政状況を分析する知識は必須だと思いますか?」という質問に対し、「必須だと思う」が29.1%、「ある程度は必要だと思う」が59.7%と、約9割の人が経営や会計の知識は社会人に必要だと回答していました。
その一方で、会社の財務状況が理解できるようになる簿記の資格を持っている人の3割以上が「その資格を業務に生かせていない」と回答しています。その理由として「財務に関わる仕事をしていない」「事務業務ではない」「会計知識が必要な部署ではない」などが挙げられていました。
非常にもったいない話です。実際、簿記などの会計知識は経営者や財務担当者だけでなく、全ての社員に有益で、会社の成長や自身のキャリアにも役立つからです。
当社も会計の視点が不足していました。過去最高売り上げだが過去最低の利益率という状況でも社員が危機感を持っていなかったのです。そこからどのように社員に会計知識を身に付けてもらい、利益率を改善させていったか、当社の事例を基に解説します。
私は、夫が社長を務める松本興産の取締役として総務や経理を監督しています。埼玉県小鹿野町に拠点を置く自動車部品メーカーで、従業員がグループ全体で約280人の中小企業です。
ある年、会社の売り上げは過去最高を記録しましたが、私は危機感を抱いていました。というのも、売上高こそ大きく伸びたものの、利益率は急落して過去最低を記録していたからです。受注増に対応するため無計画に増員したこと。その他、原価計算の甘さや製品ポートフォリオが良くないこと。さらに、在庫管理も甘かった。このような複合的要因が原因でした。
社内がお祝いムードの中、業績は悪化していることを伝えたところ、多くの社員から反発を受け、「数字しか見ていない」「自分では営業できないくせに」と陰で言われていました。さらに、過剰在庫の問題を指摘しても改善されず、私の努力は空回りするだけでした。
このような状況を防ぐには、会社の財務状況の透明性が重要であることを痛感しました。社員が決算書を読めるようになれば、経営者が何も言わなくても、自社の財務状況を理解し、自発的に売上目標や対策を考えるようになります。過剰在庫の問題も、社員自身が在庫と売り上げの関係を数字で把握できるので、適切な生産量を調整するようになります。
これは社員の心理的安全性を確保するうえで非常に重要です。経営者から「利益率を上げろ!」「在庫を減らせ!」と言われるのと、社員全員が財務状況を分かったうえで、自分たちで目標を立てて必要な行動を判断するのとでは、社員たちの精神状態や取り組みへの熱意が全く異なります。
財務の透明性が高まることで、経営者の指示に依存せず、社員が主体的に経営に関わる環境が生まれる。結果として、職場の心理的安全性が向上し、組織全体の生産性とモチベーションが高まるのです。
会社で起きている全てのことは財務データに表れます。売り上げや利益の増減、人件費の増加、在庫の過不足など、そして、組織にいる全員の意識や行動が数字となって示されます。従って、財務データが示す意味を正しく理解できれば、社員自らが会社の問題を発見し、適切な対策を講じられるようになります。
かといって、社員に「会計を勉強しなさい」と言っても、すぐに取り組み始める人は多くありません。これまで会計など知らなくても仕事はできていたのですから、彼らに会計を勉強するモチベーションもありません。人はそう簡単には変わらないものです。そこで私が出した答えは、「社員に会計を教えること」でした。
ただ、私もエンジニア出身で経理とは無関係だったため、数字や専門用語が並ぶ決算書を初めて見た時には絶望感を覚えたものです。そのため、従業員には同じ思いをさせることなく、短時間で会計の本質を理解してもらえるメソッドが必要だと考えていました。
そのため、初心者にも分かりやすいメソッドを探しましたが、私がイメージしていたものは見つからない。それなら自分で作るしかないと考え、オリジナルのメソッドを開発することを決意しました。
メソッドを作るにあたり、2つの考えがありました。一つは「楽しく学んでほしい」ということです。自社の経営に携わる中で、人は「正しい場所」ではなく「楽しい場所」に集まり、心理的安全性が確保された環境でこそ良いパフォーマンスを発揮することが分かりました。そこで、従業員が安心して楽しみながら学べる仕組みを作ることを重視しました。
もう一つは、会計の数字を単なるデータではなく、ビジュアルで表現することです。通常、会計帳簿の数字は左脳で処理されますが、左脳が一度に把握できる情報量は限られています。一方、右脳は状況把握や記憶に優れ、多くの情報を高速で処理できます。そこで、売り上げを風船に、貸借対照表を貯金箱に置き換えるなど、視覚的に理解しやすい工夫を取り入れ、右脳を活用して学べるメソッドを作成しました。それが「風船会計メソッド」です。
このメソッドでは、売り上げを風船、貸借対照表を貯金箱に置き換えるなど、数字を視覚的に理解できる工夫を施しました。おもちゃのコインや設備、銀行、税務署のイラストを使い、手を動かしながら学べるため、数字が苦手な人でも取り組みやすいのが特徴です。
メソッド完成後、私は社内勉強会を始めました。週に1回、社員を集めて、図やイラストを使いながら会計の基礎を伝授。ビジュアル化したメソッドは好評で、「これなら分かりやすい」と、社員は会計の知識をぐんぐん吸収していきました。
社員たちが会計の知識を高めたことで、社内に大きな変化が起こりました。
まず、業務に対する社員の視野が広がり、業績向上や効率化につながるアイデアが数多く出るようになりました。それまで会計に関心がなかった社員も貸借対照表について話し合うようになり、単なる売上目標だけではなく、利益向上の意義を理解するようになりました。
すると、在庫が急速に減り始めました。翌年には、それまで金額に換算すると1.2億円以上もあった在庫が約半分の6000万円にまで減ったのです。売上総利益率も18.5%から22.6%へと向上。コスト上昇時には価格交渉を自発的に行うなど、経営者視点で行動するようになりました。これも、会計数字を理解できるようになった社員たちが、何が課題で、どうすれば経営が上向くかを自発的に考え、行動するようになった結果です。
さらに、一時的に利益が落ち込んだ際には、各部署の社員が集まり、風船会計の図を活用して解決策を協議するようになりました。その結果、これまで時おり発生していた部署間の責任のなすり合いや対立がなくなり、コミュニケーションが活発化したことで、組織全体の風通しが良くなり、より円滑な連携が生まれました。
コロナ禍で売り上げが落ちた際には、赤字回避のために固定費4000万円を削減する必要があり、業務のDXを始めることにしました。このときも社員が会計思考を持っていたことが役立ちました。
4000万円の固定費を削減するには、業務を効率化するアプリを自分たちでゼロから作るしかない。当時はIT人材がゼロでしたが、社員同士が協力しあい、計70超のアプリの独自開発に成功。業務時間を約3万時間から1万時間以下に削減し、4190万円もの関連経費を削減できました。
このDXが成功を収めるために重要なポイントの一つだったのが、社員が会計思考を持っていたことです。会計視点で社内の課題を見いだし、目的、数字戦略を理解していたからこそ、社員全員がDXを行う意味を深く理解し、主体的に行動に移していけたのです。
このように、社員が会計知識を身に付けることで、自発的に経営視点を持ち、在庫削減や利益率向上、DX推進に主体的に取り組む組織へと変化します。そして、財務の透明性が高まることで組織の風通しが良くなり、社内に協力し合う文化が生まれ、生産性とモチベーションが向上するのです。
松本興産株式会社 取締役(総務・経理管掌)
Star Compass株式会社 代表取締役社長
福岡県出身。北九州工業高等専門学校を卒業後、外資系半導体製造装置メーカーに勤務。2010年、International Management Institute SwitzerlandでMBA取得。12年に結婚、15年に松本興産に入社、取締役(総務・経理管掌)。22年、財務諸表を分かりやすく理解する「風船会計メソッド」を確立。Star Compass株式会社を設立し、行政、大手企業で風船会計を用いたセミナー講演活動を展開。
「日本中小企業大賞働き方改革賞最優秀賞」「日本DX大賞マネジメントトランスフォーメション(MX)部門優秀賞」「埼玉DX大賞」など受賞多数。
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