宅配業者による、置き配ならぬ“投げ配”の映像がSNSを駆け巡った。FNNプライムオンラインが2025年4月14日、報じた(「信じられない」玄関に“置き配”放り投げる配達員に怒りの声…慣れた手つきで常習か? 外箱が破損も 販売サイトから謝罪「厳しく指導する」)。
映っていたのは、配達員が荷物を玄関に向かって放り投げる姿。これまで「非対面・効率的な受け取り方法」として市民権を得てきた置き配。しかし、現場で起きていたのは、その理念とは真逆の行動だった。
「もう怒りしかない」と語る受取人の言葉は、単なる個人の憤りにとどまらない(同サイト)。そこには、現代の物流システムが抱える構造的ゆがみが映し出されている。
なぜ配達品質がここまで軽視されるようになったのか。その背景には、物流業界が突きつけられている「スピード重視」という大義がある。
通販利用者の増加により、1日に配達される荷物の総量はかつてない規模に膨れ上がっている。2023年度の宅配便取扱個数は「50億733万個」。
前年比で約0.3%増加した。うちトラック運送が49億1401万個を占める。上位3便(宅急便・飛脚宅配便・ゆうパック)で全体の約95%を占めている。航空系は4便で約20.9%を構成する。一方、メール便の取扱冊数は36億1008万冊。前年比で10.5%減少した。「ゆうメール」と「クロネコDM便」の2便で約97%を占めている(国土交通省2024年8月発表)。
そんななか、都市部では配達員が1日150〜200個の荷物を配ることも珍しくない。1件あたりに使える時間はわずか数分。効率を追求すればするほど、早く運ぶ、多く運ぶことが優先される。その結果、運べていればよという共通認識が現場を支配するようになる。
時間通りに届ける、不在時でも確実に届けるという使命感は、いつしか「配送品質より量とスピード」という評価軸に変わっていった。“投げ配”はその極端な象徴といえる。非対面配達は双方にとって効率的だが、そのぶん荷物の扱いへの注意が薄れるリスクも抱えている。
もうひとつ、見逃せないのが配達員の評価制度だ。
多くの物流事業者では、配達員が契約社員や業務委託として働いている。彼らは「時間内に何件こなしたか」「誤配・クレームがないか」――といった数字に基づいて日々評価される。評価が報酬や次回契約の継続に直結する以上、こなすことが最優先事項になるのは当然の帰結だ。
しかも、SNSやレビュー機能によって消費者の声が可視化される時代。ほんの数件の遅延やクレームが仕事の質と見なされ、悪影響を及ぼしかねない。荷物を投げた配達員を「常習ではないか」と疑う声がある一方で、その背景にある労働構造への視点は乏しい。
配達員個人のモラルの問題として片付けてしまうことは簡単だ。しかし、そうした論調の裏で、システムが強いる「非人間的な働き方」が見落とされている。人間の行動が乱暴になるとき、それはしばしばそうせざるを得ない状況があるからだ。
そもそも、置き配という仕組み自体が、「物流の最終区間 = ラストワンマイル」の負荷を最小限に抑えるために導入されたものだ。
理想的には三方よしのはずだった。
しかし実際には、その利便性の裏側で別のひずみが生まれている。例えば、置き配の多くは玄関前に無防備に置かれ、盗難や破損といったリスクが消費者に転嫁される。企業にとっては配送完了の通知がシステム上で完結する一方で、受取人が不在時に荷物が何らかのトラブルに見舞われても、その責任の所在は曖昧(あいまい)だ。
さらに、置き配を前提とした物流設計では、荷物の扱いにかかる丁寧さが最初から想定されていない。つまり、壊れにくいものを届けることが前提の配送となり、壊れやすいものに対しては「自己責任を暗に強いる構造」になっている。
ここで問うべきは、誰のための効率化なのかという根源的な問いである。配達員に対して「もっと丁寧に配れ」と訴えることはできる。だが、それが現実的な改善につながるかどうかは別の話だ。
必要なのは、配送品質を担保するための制度設計そのものである。例えば、
こうした発想の転換がなければ、配達品質などという言葉は空虚な理想に終わる。
今後、無人配送やドローン配送などが進化すれば、さらに人の手を介さない仕組みが拡大していくだろう。だが、人が関わる限り、そこには人間の行動を左右する環境や動機が不可欠だ。そこを設計し直さなければ、たとえテクノロジーが進化しても、現場の本質的な問題は何も変わらない。
社会全体が「安く・早く・便利に」ばかりを求め続けてきた結果、物流の現場では丁寧さがコストと見なされるようになった。だが、本来、物流とは信頼を運ぶ行為のはずだ。消費者もまた、安さとスピードの裏にある現実に目を向けるべきときに来ている。
荷物が投げられたというひとつの事象は、配送員ひとりの倫理観ではなく、経済構造の帰結である。
今、問われているのは、単なる配達のマナーではない。新たな価値観に基づく「物流の当たり前」を、社会がどう設計していくかという問題なのだ。
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