自動車業界は電動化やカーボンニュートラル、新技術の進化、消費者ニーズの変化など、さまざまな課題に直面している。変化が激しい環境の中で、求められる戦略は何か。未来を切り開くには、どうすればいいのか。本連載では、自動車業界の未来を多角的に分析・解説していく。
クルマを販売することで収益を得るビジネスはいろいろあるが、国内の新車販売に限ると、輸入車と日本車(国産車)の2つのルートに大別される。国産車の場合は自動車メーカーがピラミッドの頂点にあり、その下に販売ディーラー、さらに、その下に整備工場などの販売協力店が存在する。
1960年代の高度成長期、日本ではマイカーブームが到来し、庶民がクルマを持てる環境が整っていった。その頃のクルマはまだまだぜいたく品であり、新車を買えない人が使い古された中古車を購入するケースも多かった。つまり買える人が限られていたため、ディーラーも買える人にだけ販売していたのである。
やがてオイルショックを経て、排ガス規制を日本の自動車メーカーが技術力で解決するようになると、海外への輸出も勢いづいて、それに伴って国内の景気も上向いた。それでも現在と比べてクルマの進歩はゆっくりで、デザイントレンドの変化や快適装備の充実化などが主なものだった。
1980年代に入ると、クルマにだけ使える割賦販売(マル専手形と呼ばれた)が導入される。これにより、分割払いでクルマを買う人が増え、新車の販売台数は加速度的に増えていった。
クルマの販売環境もそれほど大きな変化はなく、リースは法人の営業車にもっぱら利用された。法人も個人も契約の決め手となったのは、営業マンとの信頼以外では値引きや付属品のサービスなど金銭面の条件がほとんどだった。
バブル景気が近づくと、国産車でも限定車が用意されるようになり、販売が活発化していった。輸入車ブームが起こっても、トヨタのマークIIやクラウンの人気は高かった。片や日産党はスカイラインやセドリック/グロリアを愛用し、トヨタ車やホンダ車には目もくれない。当時はフロアマットや愛車セット(毛ばたき、三角表示板、クリーナーワックスなどのセット)を半ば標準装備のように価格表に組み込み、ほとんどの契約者に買わせていた。
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