2025年、インバウンドは再びピークを迎えている。2024年には過去最高の3686万人を突破した。大阪・関西万博開催も追い風となり、空港や駅、観光地は国内外の来訪者でにぎわいを見せている。
2025年上半期(1〜6月)は2151万8100人に達し、過去最速で年間2000万人を超えた。6月の訪日客数は約337万7800人で前年同月比7.6%増と過去最高を記録した。
観光庁によれば、4〜6月の旅行消費額は2兆5250億円となり、前年同期比18%増加した。四半期として過去最高の水準である。ただし、1人当たりの支出額は23万8693円とほぼ横ばいだった。国別では韓国、中国、香港、米国で支出が減少した一方、ベトナムとドイツで大幅に増加している。
一方で「インバウンドが増えるのはうれしくない」と答えた日本人は65.2%に上る調査結果もある。経済効果への期待とは裏腹に、生活者の間では不安や不快感が強まっている。
このねじれた構図は、表面的な歓迎ムードの演出だけでは解消できない。本稿では、マナーや治安、混雑に関する不安と、地域経済や文化交流への期待という二面性をデータに基づいて分析する。その上で、日本が抱える制度的課題と解決の可能性を検討する。
マーケティング支援を手掛けるone(東京都新宿区)は、全国の10代から60代の男女1000人を対象にインバウンド時代の日本人の意識と行動調査を実施した。
注目すべきは、「うれしくない」と答えた65.2%の背景である。マナーの悪化を懸念する声が65.0%、治安の悪化が55.7%、混雑を問題視する声が49.7%を占めている。いずれも観光消費の外側にある「生活インフラへの圧迫」を示す指摘だ。
具体例として京都市の朝の市バスは観光客で満席となり、通勤通学の住民がバスを見送る状況が常態化している。一部では観光バスの分離運用が試みられているが、
――で実効性は乏しい。利用者間の摩擦を放置して市場に依存してきた結果である。
また、マナー問題はインバウンド特有とはいい切れない。
――といった日本側の環境設計の脆弱さが浮き彫りとなる。訪問者の文化的理解に頼る運用型対応には限界がある。観光客増加にともない摩擦が増えるのは当然だが、それを回避する制度を欠くのは政策上の重大な課題である。
要は、何でもかんでもインバウンドのせいにしてはいけないということだ。
インバウンドの増加を期待する声も一定数ある。
地域経済の活性化を期待する人は35.7%、日本のよさを伝えることに期待する人は22.0%、雇用増加を期待する人は18.9%に上る。特に過疎地域や中小都市では、観光が重要な生存戦略となっている。
観光庁の2023年調査によると、訪日客1人あたりの平均消費額は21万円を、全体の消費額は5兆円を超えている。これは国内総生産(GDP)の約1%に相当する経済効果だ。
しかし、この経済効果がどの程度、地域住民に還元されているかは検証が不足している。都市部ではホテルや飲食店の大手資本が利益を享受し、中小の小売業や生活者には物価上昇や人手不足、居住環境の変化などの副作用が残る例が散見される。この構造を「活性化」と呼べるかは疑問である。
注目すべきは、若年層がインバウンドとの交流をより肯定的に評価している点だ。
10〜20代では全体とは異なる傾向が見られる。例えば、「観光地よりも日常的な場所(コンビニ・電車・住宅街など)に関心を持つ」割合は40.2%で、全体の29.5%を大きく上回る。また「現地の人との交流を求める姿勢」も22.1%と、全体平均の11.9%を10ポイント以上上回っていた。
これは観光が“鑑賞”から“体験”へと質的に転換していることを示す。観光客はモノ消費よりコト消費を志向し、異文化との接点を求めている。生活空間と観光空間の境界が曖昧(あいまい)になる現象は今後さらに加速するとみられる。
インバウンドを特別な来訪者と扱う時代は終わりつつある。今後は「一時的な生活者」として扱う視点への転換が不可欠である。
では、どのような対応が可能か。短期間で実行できる現実的な解決策は3つある。
都市交通の混雑緩和は、運行本数を増やすだけでは根本的な改善につながらない。利用時間帯の制限や観光客専用シャトルバスの独立運用など、利用者の目的に応じて需要を分散させる仕組みが求められている。
ノルウェー・オスロ市では、観光客向けの交通と通勤者向けの交通を分ける方針が進められており、それぞれに適した運行を目指している。この取り組みは、混雑の緩和や地元住民の不満の軽減につながっているとされ、公共交通の多様な利用による摩擦を減らす一例として注目される。
観光ルールの共通化と発信強化も重要な課題である。多くのマナー問題は、観光客と地元住民の認識の違いから生じている。したがって、国内外に向けて観光ルールを分かりやすく言語化し、視覚的に伝える必要がある。
ピクトグラムや拡張現実(AR)ナビゲーション、簡易多言語ガイドの導入は、文化の違いによる誤解を減らす一助となり得る。これらはマナー問題を単なる文化差から、社会共通のルール問題として管理する基盤づくりに寄与する。自治体と民間事業者の連携による運用体制の構築も求められる。
さらに、観光課税の活用による地域配分の見直しが求められている。宿泊税や入域税の導入により、観光で得られた利益の一部を公共サービスや生活インフラに還元する仕組みが必要だ。
スペイン・バルセロナではこうした税収を地元コミュニティへの投資に充てることで、住民の観光受け入れに一定の効果を上げている。日本においても課税収入の透明かつ公平な配分を実現し、観光集中地域だけでなく周辺の生活エリアへの波及効果を促すことが重要だ。こうした仕組みは地域経済の持続的発展を支える基盤となる。
今回の調査で「観光立国に誇りを持つ」と答えた人は52.7%に達した。これは観光が単なる経済活動を超え、日本人自身が日常の価値に気付く契機となっていることを示すだろう。
観光は、自らの暮らしを外の視点から見直す行為でもある。インバウンドにマナーを求める前に、都市・交通・生活の在り方を再設計する必要がある。
本質的な課題は、受け入れる準備不足にある。政策・制度・技術の各レイヤーで刷新を進め、“交流の場”としての街づくりに踏み込むべきだ。
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