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災害時の事業継続に効く4つの力 能登半島地震の企業対応から読み解く

» 2025年09月29日 08時00分 公開
[中澤幸介ITmedia]

 能登半島地震から2年近くが経過した。被災地の企業は、混乱と困難の中で何を守り、どのように立ち上がってきたのか。

 被災企業が復旧し事業を継続させる背景には、さまざまな要因が影響する。もちろん、被災の度合いによって異なるが、いくつもの被災企業を取材していると、防災やBCPへの取り組み以外にも、復旧や事業継続に強く影響したと考えられるものが見えてくる。

 能登半島地震発生以降、能登半島に本社や支社を持つ企業へのアンケート調査に加え、多くの被災企業へのインタビュー取材をしてきたが、被災後の事業継続には、BCPへの取り組みを「含め」、4つの重要な力が影響したと感じている。

 「含め」と書いたのは、BCPの取り組みそのものを単体で取り出すことは難しく、さまざまな力が複雑に絡み合っていると考えられるからである。逆の言い方をすれば、1つ1つの構成要素が、BCPの取り組みの中でも、特に重要であることを示している。

 まずは4つの要素を説明したい。

photo 能登半島地震後の穴水市内(以下撮影:筆者)

災害時の事業継続に効く「4つの力」とは? リスク対策.com編集長が解説

 1つ目は、事前対策力である。事前対策力とは、一言でいえば、震災前にどれだけ防災やBCPの取り組みをしてきたか、という基本体力と言い換えてもいい。最も重要なのは、具体的に危機を想定し、準備をすることができたかだ。転倒防止、備蓄、訓練など幅広い取り組みが含まれるが、核心は「自社にとって何が失われれば最も困るのか」を理解し、それを守るための備えを実行できているかにある。

 2つ目の力は、現場判断力だ。災害時は、対応にあたる現場担当者が即断しなくてはいけないような切迫した状況が現れる。特にトップが不在である場合や、今回のような休日の災害では出勤者だけで判断しなくてはいけない事態が起こる。その時、合理的な判断を迅速にできるかが重要だ。

 3つ目の力は、ステークホルダーとの調整力だ。ステークホルダーというのは幅が広い概念であるが、例えば取引先であったり、自社のメンテナンスにあたる建設会社であったり、あるいは行政機関、顧客、さらには働いてくれる自社の社員も含む。災害時にどれだけ協力してもらえるのかは、1つの力と考えてもいい。

 最後4つ目は、継承力と名付けたい。継承力とは過去の教訓をいかに生かせたか、あるいは今回の経験をいかに次の災害や危機に生かせるのか、災害への向き合い方といってもいい。被災した経験から何を学んできたのか、今回何を学び取ることができたのか、これも大きな力である。そしてこの力は、いつくるか分からない次の災害や危機においての力にもなる。

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 災害は繰り返し発生し、その姿は毎回異なる「厄介な不死鳥」のような存在である。その不死鳥に対して、過去のBCPがどれだけ役に立ったのかを1時点のみで評価することは難しい。今回はたまたまうまく乗り越えられたとしても、次の災害に同様の対策が機能するとは限らない。しかし、今回の被災経験を語り継ぐことは必ず次の災害に役立つ。

 これら4つの力を支えているのがBCPであり、日常的な経営改善であり、エンゲージメントといえる。エンゲージメントとは、一般的に「婚約、誓約、約束、契約」といった結びつきや関係性を示す言葉で、特にビジネスにおいては、企業と従業員、または企業と顧客との間に存在する深いつながりや信頼関係、貢献の意志などを指す。その重要性については中部経済産業局が2025年3月に発表した「令和6年能登半島地震におけるものづくり企業の復旧ポイント事例集」の中でも紹介されているので参考にしてほしい。

 さらに4つの力それぞれも相互に結びついている。例えば4に挙げた継承力があるから、1の事前対策力が身についているケースもあるだろうし、2の現場判断力も事前対策の中で培われたものかもしれない。

 以下の事例で、4つの力への理解を深めていただきたい。

(1)事前対策力の事例 自社にとって最も困ることを把握すること

 富山県射水市の自動車用アルミ部品メーカー、アイシン軽金属は、震度5強の揺れと液状化に見舞われたが、大規模な転倒や落下を免れ、早期復旧を実現した。同社は2016年の熊本地震でグループ会社が甚大な被害を受けた経験を糧に、天井クレーンなどの設備の脱輪・落下防止、金型の転倒防止、サーバのバックアップ体制強化などをグループ横断で徹底してきた。また、対策本部の役割分担を繰り返し訓練で確認してきたことも奏功した。地震による被害を具体的に想定し、教訓を全社的に反映した積み重ねが、今回の地震での強みとなった。

 同社からは、1つ目の「事前対策力」を強く感じられる。同社の製品は、トヨタ自動車向けをはじめとして他のメーカーにも採用されている。自動車産業全体に対する同社の供給責任は重い。こうした中、事業継続における金型などの重要性を強く認識し、その対策を重点的に講じていた。もし、金型が被災したり、天井クレーンが落下したりするようなことになれば、どんな優れた災害対応をしようにも、復旧だけで数カ月はかかることが見込まれる。「自社にとって何が失われれば最も困るのか」を理解し、それを守るための備えを実行していた好事例だ。

 石川県七尾市の恵寿総合病院も、2007年以降に取り組んできた事前対策が奏功した。震度6強の激震で病棟の天井の落下や水道管の破裂が相次いだが、免震構造の本館はほぼ無傷であった。患者113人を本館へ移動させることができたのは、地震を想定した連絡通路の設計によるものである。

 2007年というのは、能登半島で震度6強を観測した地震が発生した年である。2024年の能登半島地震ほどの被害にはならなかったが、死者1人、負傷者193人、住家全壊68棟、半壊164棟などの大きな被害が生じた。同院はこの地震や東日本大震災を契機に、建設計画を耐震から免震へ変更し、井戸水と上水道の二重化、自家発電の設置、データの遠隔バックアップ、大型ヘリポートの整備までを進めていた。入院患者を守るだけでなく、負傷者を受け入れなくてはいけない病院が被災することの意味を重く認識し、多額を投じて対策をしてきた。

 「お金がなければハード対策はできない」と嘆く経営者も多いかもしれないが、問われるのは本気度だ。目先の利益にとらわれず、リスクを認識して、長年をかけて、必要な経費を生み出せるかは、事業継続に必要な力と言える。同院では、結果として、停電や断水下でも災害発生から3日後の1月4日には通常診療を再開している。

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(2)現場判断力の事例 トップが不在でも現場が動ける体制

 最大震度7を観測した石川県志賀町にある株式会社白山の石川工場は、深刻な被害を受けながらも、3カ月で完全復旧を実現した。同社は1947年、東京都港区三田で創業し、1948年に逓信省(現NTT)へ雷対策用の加入者保安器を納入し、業績を伸ばした。しかし、光通信の台頭や携帯電話の普及により、かつての主力製品の需要は激減。NTTから技術継承を受け、起死回生策として、新たに開発したのが、現在の主力製品だ。それは光ファイバーを高精度で接続する「MTフェルール」だった。同部品は今やデータセンター内の光通信を支える重要部材となり、AI需要も追い風となって、世界シェア2位を誇る主力製品として急成長を遂げている。

 1月1日の地震で、志賀町では震度7を観測。石川工場は停電・断水に見舞われ、天井の崩落や設備のズレなどの被害が発生した。多くの社員が動けない状況にある中、発災翌日の1月2日には、工場近くに住む総務担当者が、自主的に工場の状況を確認し細かく報告してくれた。関東在住で単身赴任中だった副工場長も、復旧に向けていち早く行動を開始。年始の帰省で埼玉にいた副工場長は、工場の被害状況を把握すると、即座に支援物資を積んで車で現地に入り、復旧に着手した。

 さらに副工場長は、開発拠点でもある埼玉・飯能市の事業所での代替生産を提案した。いくつかの部材や金型を移せば、同じ製品を関東で作ることが可能になる。生産能力は約8分の1と劣るものの1月5日には、代替生産の体制を構築した。

 こうした現場判断力を支えたのは、一人ひとりが経営状況を見ながら判断する同社の「ヒト・セントリック経営」だ。白山では、日常的に経営数値を全社員に公開している。同社の工場長は「平時から、経営数値を見ながら、現場が判断できるようにしています。もちろん、お金のこともありますので、好き勝手にやっていいわけではありませんが、地震の際は、現場に権限が与えられていたので社長にうかがいを立てなくても判断できました」と話している。

(3)ステークホルダーとの調整力の事例 建設会社らとの協力が早期復旧のカギ

 ステークホルダーとの調整力は、取材したほぼ全ての企業から感じた最も大きな力と言っていい。

 例えば、アイシン軽金属においては、親会社であるアイシンが震災直後から災害対策本部を立ち上げ、朝・夕の2回、Web会議を通じて情報共有会を実施し、即先遣隊を派遣。1月2日の夕方には、アイシンをはじめ、愛知県のグループ会社、得意先などから支援メンバーが続々と現地に到着し、1月17日までに、実に全国から延べ2077人の支援が入っている。

 白山は、地元建設会社との調整が見事に機能した。震災翌日、総務担当者が出社した際、その日のうちに、30年以上付き合いのある地元建設会社へ連絡を取り、1月5日には現地調査、10日には工事が始まった。現場判断力もさることながら、地元建設会社にこうした連絡ができる関係が築けていたことに注目したい。5日にはゼネコンの担当者が現地入りし、10日には修繕工事が始まったという。

 あらためて言うまでもないが、災害時には建設会社への工事依頼が殺到する。そうした中で、自社の復旧を支援してもらえる調整をいかに行えるかは、災害が発生する以前の平時にかかっている。さらに今回の能登半島地震でいえば、人材不足から職人を手配できない事態が各地で発生した。人件費も高騰し、1日2万円が、4万円、6万円と跳ね上がった事例も聞く。加えて被災地では宿泊地が確保できないため、多くの職人が周辺都市部である金沢市や富山県の高岡市などに宿をとった。通勤に要する時間も労働時間と見なされるため、実際に現地で働ける時間は制約される。こうした状況を見据えて建設会社らとの関係を構築していくことも重要である。

 もう1つ、別の調整力の事例を紹介したい。七尾市にある水産練製品メーカーの株式会社スギヨである。市内3つの工場が被災したが、再建を支えたのは、同社の商品を心から愛する消費者の存在だった。同社は北海道や茨城県に工場を持ち、さらに宮城県や広島県には子会社がある。そのため、8割近い製品は代替生産が可能になった。一方、能登工場だけで生産されていた主要商品「ビタミンちくわ」については、被災後、営業サイドからは代替生産の要望も出たが、経営陣は「この味、この品質はこの場所でしか出せない」と判断。あえて他県での製造はせず、再開を待つ方針を貫いた。

 この判断は長野の消費者から強い支持を得た。ビタミンちくわは、長野県の家庭で長年親しまれており、震災後も「北陸で造られたものを待つ」という声がSNSや手紙で多数寄せられた。普通、ちくわなどの練り物は、鍋料理の需要の高まる冬場ほど、売り上げが伸びるが、生産再開後は、夏場にもかかわらず販売量が冬季を上回るなど、過去最高に近い売り上げを記録した。長野の小中高校生らは応援にわざわざ工場を訪れ、寄せ書きや手紙も贈った。ちくわ再開に合わせて長野の各地でも復興イベントが開かれた。

 BCPにおいては、いかに早く事業を再開させるか、いかに早く生産量をもとに戻すかという視点を重視しがちである。しかし、こうした早さや量だけが顧客のニーズを満たすとは限らない。今、誰から何を求められているのかを読み解く力、この調整力も災害時においては極めて重要になる。

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(4)継承力の事例 災害という「不死鳥」に立ち向かうために

 継承力も多くの取材先から共通に感じることができた。例えば、スギヨでは、かつて、天井裏まで延焼する火災が発生したことがある。その際、建設会社から復旧には1年かかると診断されたが、知り合いの建設会社に協力を依頼し、専門家で組成されたプロジェクトチームの支援を受けることができた。このチームが立案した計画は「修理しながら操業を続ける」というものだった。

 当初1年とされた操業停止期間は、わずか1週間に短縮できた。以降、「迅速な復旧が市場を守るかぎ」ということは同社での教訓とされてきた。この過去の火災事故の経験を語り継いできたことが、今回の地震に対する迅速な対応につながった。

 1月2日の段階で、社長と工場設備に詳しい役員が被害状況を確認し、即座に復旧プロジェクトを始動。建設業者には見積もりを待たずに資金を提供し、人員の確保と修繕作業を開始した。

 アイシン軽金属では先述した通り、2016年の熊本地震以降、アイシングループ全体に継承してきた取り組みが、被害を大きく軽減させた。熊本地震では、グループ会社のアイシン九州、アイシン九州キャスティングが、極めて大きな被害を受けた。工場内の運搬用クレーンと金型が落下。アイシン九州は自社工場での生産を断念し、取引先の工場や愛知県の本社に設備を一時的に移転し、代替生産を行うほか、海外工場からも緊急輸入して急場をしのがざるを得ないほど、大きな被害が出た。復旧には数カ月単位の時間を要した。この被災経験から、アイシングループ全体で、防災への取り組みを強化してきた。

 富山県高岡市に本社を持つ三協立山株式会社は、復旧において、専門的な知見のある資格保有社員の体系的な把握が課題になった。工場の復旧には専門的な知識を必要とするが、社内で体系的に把握して復旧の際に他拠点から投入できる体制の整備が必要であると認識したという。

 例えば、在庫の状況なども見ながら、どの設備からどう復旧させるか優先順位を決定する、漏電・危険物の漏えいなどの危険がある中で安全な操業を行う、など資格者が不可欠な作業が多い。こうした平時のライン作業では考えたことがない課題に対応するには、電気主任技術者や危険物の取扱の資格をもった技術者の存在が不可欠になる。

 ところが、その技術者の多くが被災し、代替要員が簡単には集まらなかった。こうした経験から同社では、現在、全グループでの資格者リストの整備を進めている。自社のグループ会社やサプライヤーが被災した際でも、すぐに現場で役立つ社員を派遣できるように、各種スキルを持つ技術者の所在と優先派遣者を示した計画を策定している。まさに、被災経験を教訓とした次世代への継承に向けた取り組みと言える。

 繰り返しになるが、BCPの評価を一つの災害だけで行うのは難しい。企業が存続する限り、災害とは常に向き合っていかなければならない。そうした意味では、被災経験などの「継承力」は、これからまさにその真価が問われると言えるだろう。

 そして、「継承力」は災害を経験した企業だけが培えるものではない。自分ごととして災害を考えることで、そこから教訓を学び、それを継承につなげることができるはずだ。

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著者プロフィール:中澤 幸介(なかざわ・こうすけ)

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2007年に危機管理とBCPの専門誌リスク対策.comを創刊。

国内外多数のBCP事例を取材。

内閣府プロジェクト「平成25年度事業継続マネジメントを通じた企業防災力の向上に関する調査・検討業務」アドバイザー、平成26〜28年度 地区防災計画アドバイ ザリーボード、国際危機管理学会TIEMS日本支部理事、地区防災計画学会監事、熊本県「熊本地震への対応に係る検証アドバイザー」他。講演多数。

著書に『被災しても成長できる危機管理攻めの5アプローチ』『LIFE 命を守る教科書』、共著・監修『防災+手帳』(創日社)がある。

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