宮城さんはもともと、行政職員になるつもりが全くなかった。全くなかったというよりも、想像すらできなかった。
「当時、公務員って、塾に通わせてもらって、ちゃんと習い事をさせてもらっていた人がなるような職業っていうイメージがあったので、自分が市役所で働いていること自体がまだ不思議な感覚です」
宮城さんが幼少期の頃、経済的に厳しい状況にあったという。
「幼少期、家庭の経済状況が不安定で、生活の場所さえままならない時期もありました。子ども心に『なんとか家計を助けたい』と必死だったのか、外で集めた一升瓶を酒屋さんに持ち込んだことがあるんです。今思えば、子どもが拾った瓶なんて売り物にならなかったはず。それでも店主のおじさんは、『おまけしとくよ』と笑って、給食費に足りるよう買い取ってくれました」
こうして宮城さんは地域に支えられながら生き、親からの愛情もしっかりと感じられていた。
ただ、このような境遇が「自分は周囲とはスタートラインが違いすぎる。他人の1000倍の努力をしないと“普通”になれない」という気持ちを強固なものにしていったのは確かだった。
“普通”になりたくて、猛勉強の末、学費免除での入学枠を勝ち取って浜松市内の大学に入学した。卒業後に静岡県内の私立高校で保健体育の教員をした後、沖縄に帰郷。責任者として経営側に回ったフィットネス施設では、子ども向けの運動教室も開催していた。運動時の子どもたちの動き、声、表情の様子は、その子の心身の特性を表すという。親がわが子のことをより理解するヒントにもなる。
公務員になる前、那覇市役所にこんな相談をしに行ったことがあった。かつての自分のような、経済的に困窮した家庭の子どもでも無料で参加できる運動教室を開催できないものか、と。
「一般の運動教室のお客さんはやっぱり、経済的に豊かな層が中心です。僕の幼少期のような層には、そもそも運動教室があることすら絶対伝わりません。なので、僕が講師となる企画を売り込みに行きました」
結果として、特定の民間企業が主体となる事業はできないという理由で断られてしまったが、その熱量は市職員になってからも、仕事に向き合う原動力になっている。
民間時代と比較し、行政で働く幸せは「利益を求めなくても、市民のためになる企画ができること」だと言い切る。
「最近、市役所職員ってあこがれの対象にならないような気がするんですよ。同じ公務員でも、例えば消防士はあこがれられる仕事じゃないですか。市役所職員にも尊敬できるかっこいい仕事している人がたくさんいるんですよね」
「だからこそ、少し強い言い方ですが“退屈な自治体”にはなりたくないというか。『かっこいい仕事をしている』って思ってもらいたいですよね」
これからも、チャレンジ精神で前に突き進む。
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