福島・只見線復旧問題――なぜ降雪地域に鉄道が必要なのか:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/4 ページ)
2011年の豪雨被害で不通になっている只見線について、福島県と地元自治体が「運行再開後の赤字、年間3億円を補てんする意向」と福島民報が報じた。鉄道を維持する利用者が見込めないと分かっていながら、それでも鉄道を残したい。その悲痛な思いはJR東日本と国に届くだろうか。
「裁判を利用する」したたかさも必要だ
過去の経緯を知って納得したところで、不通区間は復旧しない。冬期間の道路閉鎖、閉鎖しないまでも冬期間に危険となる道路のおかげで、鉄道不通区間の金山町は孤立したままだ。不便が続けば定住者は減り、消滅するだろう。
それを見捨ては置けぬと福島県と沿線自治体が、復旧後の赤字分を負担するとまで譲歩している。毎年の3億円負担は地方交付税交付金も含めた低予算のやりくりで捻出する。それだけあれば、街の整備、福祉などの使い道もあるというのに、只見線の復旧を求める。これはもう悲痛な叫びと言っていい。国やJR東日本に、その声が届いてほしい。
赤字の補てんも復旧しなければ始まらない。只見線の復旧費用はJR東日本の試算によると約85億円。国が定めた災害復旧の枠組みでは、自治体が3分の1、JR東日本が3分の1の負担を決めた時点で、国の3分の1の負担が決まる。金額に直せば約29億円ずつだ。再開後の赤字負担が無くなると言うことであれば、JR東日本は約29億円の負担に同意してくれるかもしれない。復旧工事の着手は、自治体が約29億円を捻出できるかにかかっている。しかしそこには触れず、毎年の約3億円をどうにか負担するまでで精一杯だ。
問題解決の手段として、ここはやはり裁判が最もスマートではないか。裁判というと、私たちは「犯罪者を裁く」「善悪をハッキリさせる」というイメージがあり、勝ち負けの問題に感じてしまう。しかし、ビジネスの領域では、会社間の揉めごとで何ともならない場合、仮の被告と仮の原告の立場で裁判し、決着をつけてもらうという場面もある。けして仲が悪いわけではなくても、それぞれの会社の方針で譲れない、株主の理解を得にくい。しかし「裁判で決まったから」となれば、どんな強硬な反論も封じられる。
お互いの納得ずくで、問題解決の道具として裁判を使ってもいい。JR東日本がダム管理者を訴える。沿線自治体が交通権の侵害だと国やJR東日本を訴える。それは手法であってけんかではない。結果的に自治体が敗北の形となり、只見線の廃止が正式に決定できるという判決が出るかもしれない。そうしたら、自治体はその時こそ全国の有志に寄付を募ろう。クラウドファウンディングでもふるさと納税制度でも、手段はあろう。
今までも民間、個人に協力や寄付を求める取り組みがあったけれど、私がそこに参加しがたい理由は「問題の先送り」だった。個人に寄付を求める前にすべきことがあるのではないか。どんな形になるにせよ、まずは只見線の存廃に決着を付けるべきだ。過去のいきさつ、各当事者の立場を尊重したままではこう着する。この状態は、金山町の人々だけではなく、関係者すべてにとって幸せな状態とは言えない。
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