元ジュディマリのTAKUYAが目指す「アジアの音楽ハブ構想」:アジアの玄関口・福岡のキーパーソン(1/3 ページ)
アジアの玄関口として注目されている福岡。今回は福岡を「アジアの音楽のハブ」と位置付け、スタジオ開設の構想を立ち上げた元JUDY AND MARYのTAKUYAさんにインタビューした。
2015年4月、東京で開催された世界的なスタートアップイベント「SLUSH ASIA」にて、元JUDY AND MARYのギタリストであるTAKUYAさんが「福岡にスタジオを建て、アジア音楽のハブにする」という構想を発表した。
なぜ福岡なのだろうか? アジアの拠点となるスタジオを建てようと考えた際、アジア各国への距離の近さ、市街地から福岡空港まで約10分というアクセスの良さ、周波数が高く(東日本は50Hz・西日本は60Hz)より高品質な音を出すことができる点、新しいことを受け入れてくれる風土などから、自然と福岡が浮かび上がってきたという。
春先の発表から数カ月が経った。構想はどのように進んでいるのだろうか。福岡やアジア各国の関係者と積極的に意見交換・企画を進めるTAKUYAさんを直撃した。
福岡に世界最高音質のスタジオを!
――今、具体的な構想は見えてきましたか。
TAKUYA: SLUSH ASIAでの発表以降、「一緒にやりませんか?」という声をいくつかいただいています。現在は、まずプランを作成しているところです。パターンと落としどころはいくつか考えていて、最初にビッグプランから打ち出そうと思っています。
――SLUSH ASIAに登壇されたのは、どのような経緯だったのでしょうか。
TAKUYA: 「福岡にアジアのハブとなる世界最高音質のスタジオを作る」という話を起業家の友人たちに話しているうちに、アイデアがまとまっていき、構想を書いてみたところ、その企画書が関係者の目に触れ「SLUSH ASIAで発表してみては?」ということになりました。発表したおかげで、さまざまな方から具体的な話が持ち込まれるようになり、実現まで5年はかかるかなあと思っていたのですが、そのスピードが一気に加速した感がありますね。
――「福岡市に対して提示する」というプランは、いつごろの実現予定としているのでしょうか。
TAKUYA: 今進めているプランがうまく着地すれば、2016年中には何らかの形で発表できそうです。福岡市とも、そこからどのような連携ができるかといった話が進めばと思っています。
また、今、AARON(アーロン)という台湾のアーティストをプロデュースしていまして、彼のシングルが昨年5月に発売された際にプロモーションビデオを福岡で撮りました。
元々、台湾ではなく別の都市で撮影をしようという話があったので、余裕がないスケジュールの中で台湾からの近さや、アジアへの福岡のプロモーションも兼ねて、福岡に呼ぶことになりました。
――スタッフも含め、実際に台湾から福岡に来られた皆さんの反応はいかがでしたか。
TAKUYA: 福岡という場所をまだ皆知らないのですよ。日本と言っても「TOKYO」「OSAKA」「KYOTO」。後は「北海道は雪が多い」程度の認識です。その感じがアジアの多くの人たちが持つ日本のリアルだと思います。ただ、実際にプロモーションビデオができ上がった後、AARONのオフィシャルサイトやFacebookページにも福岡で撮影した写真がアップされて、じわじわと福岡の良さを伝える1つのきっかけにはなったかなと感じています。
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