「テケツや!」――朝ドラ『あさが来た』の鉄道事情:杉山淳一の「週刊鉄道経済」(1/4 ページ)
近代日本において、女性の社会進出の道を切り開いた実業家、広岡朝子。炭鉱事業で成功し、大阪、福岡、東京へと文字通りの「東奔西走」だった。その行動力を支えた鉄道は、この当時どんな姿だっただろうか。
杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)
1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』、『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。 日本全国列車旅、達人のとっておき33選』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP。
乗車券が結ぶ「絆」
「テケツや!」とあさが言った。
NHKの朝の連続テレビ小説『あさが来た』の一場面(2月1日放送・103話)だ。夫の新次郎が尼崎の阪神紡績から帰り、あさに土産として鉄道の乗車券を差し出す。「きっぷや!」と言うと思っていたから、最初は何を言っているか分からなかった。録画を戻し、何度か聞いて、テケツはチケットと理解した。明治時代、駅は「ステン所」と呼ばれたという。ステーションが語源だ。外来語が日本語に取り込まれていく過程、明治時代ならではのエピソードだ。
新次郎があさに渡した「テケツ」は「おほさか より かんざき まで」と書かれている。下等、料金は七銭。日付刻印は24.9まで読める。明治24年9月。何日かは指で隠れて見えない。神崎駅は現在の尼崎駅だ。明治7年に東海道本線の神崎駅として開業した。ちなみに明治24年は神崎駅の近くに馬車鉄道の尼ヶ崎駅も開業している。後の福知山線だ。神崎駅は昭和24年に尼崎駅に改称している。
あさはテケツをストックブックに保存している。そこにズラリと並んだテケツを見て、新次郎は「変わった趣味ですこと」と呆れていた。あさは元祖「鉄子」か。いや、当時、鉄道好きの女性は多かったようだ。1884(明治17)年にフランス人のギヨーム・デピンが記した「LE JAPON(日本)」には「日本人女性は鉄道が好きで、1人でも乗車している」という記述があるという。デピンはもしかしたら、あさのモデルとなった広岡浅子を目撃したかもしれない。
テケツというセリフは、2日後の放送(2月3日放送・105話)にも出てくる。娘の千代を案じて、女学校で学ぶことが人生のテケツになる、という。次のテケツの登場は3月4日放送の131話。あさは東京で父の忠興に再会を誓う。「今は汽車があるからすぐに来られる。九州の炭鉱に行っている間に汽車に慣れた。テケツも集めている」と。忠興は「おなごのくせに」と笑う。きっぷ集めに呆れたか、手とケツ(尻)に絡めて、はしたないと思ったか。
しかし、その父が亡くなった後の137話(3月11日放送)で、あさは忠興の遺品の中にストックブックを見つける。中にはテケツが並んでいた。駅名は漢字になり、一等、二等ばかり。要職として活躍する父親像を示している。あさは「私の知らない駅がたくさんある……」とつぶやく。もっとも、画面に映ったテケツは「品川ヨリ神奈川迄」のほか、川崎、横濱、鶴見、大森など東海道本線の駅名が多い。あさは通過しているはずだから知っている駅ばかり。きっとほかのページに熊谷や高崎など、当時はまだ日本鉄道だったころのテケツがあったのだろう。
父も娘と同じテケツ集めの趣味を持っていた。いや、父は鉄道で旅するたび、テケツを見るたびに娘を思っていたかもしれない。テケツは父と娘にしか通じない遺品だ。そしてあさは新次郎のテケツも集めていた。テケツは夫と父とあさの絆を示す小道具だった。
それにしても、当時はまだテケツを下車駅で回収していなかったようである。
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