“超長寿業態” 日本初のビヤホール「銀座ライオン」の歴史をひも解く:長浜淳之介のトレンドアンテナ(2/5 ページ)
首都圏に38店、全国に63店を展開している老舗ビアホール「銀座ライオン」。流行(はや)り廃りが激しい外食業界の中で世代を越えて愛好される、超長寿業態となっているその秘訣、歴史をひも解く。
「恵比寿ビヤホール」誕生の背景
日本の商用ビール醸造は明治初期より始められていたが、やがて明治中期には国産ビールのブームが起こり、100社以上とも言われるビールメーカーが乱立した。その中に、現在のサッポロビールの前身の1つ、1887年設立の日本麦酒があり、1890年に恵比寿ビールが発売された。その日本麦酒が1899年にオープンしたのが、日本初のビヤホール「恵比寿ビヤホール」であった(現在、銀座ライオンチェーンでは、この恵比寿ビヤホール開店日の8月4日を、創業祭として生ビール全品半額などのサービスを行っている)。
1901年の麦酒法の導入により、それまで政府の産業育成策のもと無税の恩恵を受けていた中小のビールメーカーの大半が経営苦により消滅していくが、「恵比寿ビヤホール」のできた背景には激しい商戦に埋没せず、いかに恵比寿ビールのブランド力を築くかという課題があった。
現在の銀座博品館(東京都中央区)の前あたりにオープンした恵比寿ビヤホールは、れんが造りの建物の2階を借りて営業。入口から向かって左側のカウンターは、ニッケル製のスタンド。床はリノリウム(天然素材)張り、椅子やテーブルはビールの樽材でつくられた。
設計は現存する東京・中央区の日本橋や横浜赤レンガ倉庫を手掛けた建築家の妻木頼黄(つまきよりなか)氏で、当時からすれば極めてモダンで奇抜なデザインに仕上がった。豪華な造りが評判を呼び、35坪の店舗に1日平均800人が来店するほど大いに繁盛したという。
当初はビールのみを売るつもりであったが、スタッフがドイツに視察へ行ったところ、街中にあるビアハーレで赤大根をスライスして塩を付けて食べるおつまみを出していたので、日本でも大根スライスを出してみた。しかし、お客には不評だったという。そこで、蕗(ふき)や海老の佃煮を提供するなど、今につながる和食とビールのマッチングが試されている。
この店が繁盛したために、洋風建築で飲食するミルクホールなど、ホールという語を用いた店が流行したほどだ。
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