『水戸黄門』の復活が、あまりよろしくない理由:スピン経済の歩き方(2/5 ページ)
TBSが同局で42年続いているドラマ『水戸黄門』を6年ぶりに復活すると発表した。しかし、である。『水戸黄門』を放送することは、日本社会にとってあまりよくないことではないか。どういうことかというと……。
土下座の大衆エンタメ化
現在のように、おじきの角度は45度、テレビカメラに撮らせるために10秒は頭を下げていましょう、という謝罪会見の「作法」が確立されたのは、2000年の雪印集団食中毒事件や、三菱自動車のリコール隠しのあたりである。もちろん、それまでも不祥事を起こした企業が詫びることはたくさんあったが、現代のように「頭を下げなきゃ人間失格」みたいなところまで先鋭化したのは比較的、最近の話なのだ。
いや、昔の日本人はみんな清い心をもっていたからなにか悪いことをしたら、地べたに頭をこすりつけて土下座をしたもんだ、という日本会議的なお考えの方たちも多いかもしれないが、これも勘違いで、『誰も調べなかった日本文化史』(パオロ・マッツァリーノ著、ちくま文庫)によると、土下座はもともと身分の高い人が通る際に地べたにひざまずいて拝礼して「畏敬の念」を表す作法で、謝罪の意味はなかったという。
確かに、魏志倭人伝にも、「あるいは蹲(うずくま)り、あるいは跪き、両手地により恭敬をなす」という邪馬台国の習慣が紹介されている。また、幕末の志士たちに影響を与えた尊皇思想家・高山彦九郎も、京都・三条大橋の東側で土下座している姿が銅像になっているが、これも誰かに謝っているわけではなく、御所へ向かった「拝礼」だといわれている。
では、そもそも高貴の人への畏敬の念を示す所作だった土下座が、なぜコンビニ店長がモンスタークレーマーから迫られるような「降伏のポーズ」へと意味が変わってしまったのか。先のパオロ・マッツァリーノ氏は「時代劇」の影響ではないかと以下のように推察している。
『現在のような「謝罪」や「懇願」を目的とした土下座が庶民に広まったのは、大正時代の後期以降。「大菩薩峠」などの人気時代小説で、圧政に苦しむ江戸庶民が土下座するシーンが頻繁に登場したことの、影響があった』(2015年4月21日 東京読売新聞)
個人的には、これは正しい解釈だと思っている。「土下座シーン」が大衆のエンタメとして広く紹介されていくうちに、「拝礼」という伝統的な側面がどこかへすっ飛んでしまったのだ。ただ、いくら当時の時代小説の人気がすさまじかったからとはいえ、邪馬台国の時代から1800年間続いてきた価値観が短期間に崩壊するとは思えない。
平成の日本人が、怒りにワナワナと震えながら大和田常務に「土下座しろぉぉ!」とキレる半沢直樹の姿にカタルシスを感じたことからも、昭和から平成にかけて時代小説のようにエンタメ化した「土下座シーン」を繰り返し繰り返し「国民」に見せつけた「何か」があったのではないか。
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