パリ協定の真実:池田直渡「週刊モータージャーナル」(3/4 ページ)
世界中で内燃機関の中止や縮小の声が上がっている。独仏英や中国、米国などの政府だけにとどまらず、自動車メーカーからも声が上がっている。背景にあるのが「パリ協定」だ。
サステイナブル社会とは何か?
さて、本当に実行すれば、人類に文明後退レベルの犠牲を強いる改革となるこの理想主義的環境規制の分岐点は、パリ協定の拘束力だ。これだけの無茶な、多大な痛みを強いる目標設定をしながら、各国の目標設定レベルやその未達に対して、法的拘束力がない。つまり制度としてはただ乗りし放題である。地球温暖化対策は他国に任せてわが世の春を楽しむ国が出てきてしまう。
つまり、あっちもこっちもいろいろと無理筋なのだ。そもそも国連気候変動枠組み条約締約国会議が目指すのは「サステイナブル社会」ではなかったのか? もちろん手を打たずに破たんに至るのは困るが、かと言って、破たんさせないためにどんな手段でも取れるかと言えばそこは話が違う。
例えば、75億人の人口を産業革命以前の8億人に減らしましょうという手段を人類は取れない。神の見えざる手と違って、人間には人間の都合がある。人が人として生きていくことを放棄してまで地球環境を優先はできないし、できない手段でやろうとしてもそれは実現しない。
「世界経済が衰退しようとも地球を守ることは大事だ。なぜなら我々は地球がなければ存在できないからだ」という気持ちは感情としては分かるが、経済の衰退につれて、環境対策予算もなくなったらどうするのか。75億人が文明を捨てて、山の樹木を伐採して薪にすればCO2だけでなくダイオキシンも発生する。そして酸素の生産手段である森林が無秩序な伐採で破壊されるだろう。そうなっても予算がなければ植林もできない。極論すれば人類に火を放棄しろという話になる。サステイナブルは必ずしも現状のまま維持しろということではないが、人が許容できる範囲のサステイナビリティを維持しなければ状況はますます悪化してしまう。
経産省のレポートは苦渋に満ちている。人類存続と人の尊厳をどうバランスさせるのかという部分で呻吟しているのだ。
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