世界が注目する東北の小さな町のイチゴ革命:地方で勝つ会社(4/4 ページ)
東日本大震災によって大きな被害があった宮城県山元町。この地で作られているイチゴが今、国内外から注目を集めている。「ミガキイチゴ」という商品ブランドを立ち上げた岩佐大輝さんの挑戦に迫る。
地方が勝つためには
岩佐さんによると、圧倒的なプロダクトを作るということは、地方の産業を考える上でも重要なことだという。グローバルレベルで魅力的で、競争力があれば、間違いなくその他のマイナス条件を加味してもその地域は栄えるというのが持論だ。そして、できればそれは誘致型ではなく地域の独自性を持ったプロダクトであれば、世界で生き残ることが可能だとする。
「日本が中長期的にシュリンクしていく中で、もはや『日本の中での地方』という議論は古いです。世界の数ある都市やエリアと比べてこの地方はどうだという見方をしないと意味がありません。地方にいる人は、世界でどう見られているのだろうという意識を持つことが大事です」
だからこそ、その地域の独自性が必要なのだ。そして現時点で強いプロダクトがなくても、新しいものを生み出す風土や人などのシーズがあれば、地域経済の活性化は十分可能性があるとする。
「地方というのは、多様性があり、都会で暮らす人たちにとってはまだ未開の地なので、日本がイノベーションを起こすためには重要な存在なのです。逆に日本から地方がなくなると画一的な文化になってしまうでしょう。地方創生というのはそういう意味を持つと思います。ただし、地方のすべてが生き残るかというと、際立った独自性があり、海外からも興味を持ってもらうようなものがないと厳しいでしょう。もう社会が順調に成長する時代ではないのです。ある程度淘汰され、オリジナリティのある、強い場所だけが今後残っていくはずです」
そうした中で山元町をこれからも世界で輝き続ける場所にしたい。だから岩佐さんは歩みを止めず、次々と新しいことを仕掛けていく。
「この地域は震災で多くの人が亡くなっています。生きているわれわれができることは、挑戦し続けることなんです。挑戦しないのは罪だと思っています」
こう言い切った岩佐さんの強い言葉の後ろには、山元町でともに奮闘する人たちの期待と希望がしっかりと見えた。
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