市役所に「鯉係」も 郡山が鯉の普及に躍起になる理由:再び食卓に(1/3 ページ)
市町村別で日本一の鯉の生産量を誇る福島県郡山市。かつては地元にも食文化として根付いていたが、今では一般家庭で調理する機会はほぼないという。そうした郡山に再び鯉を定着させようとする取り組みが始まった。
いきなりだが、皆さんは鯉を食べたことがあるだろうか?
「泥臭い」「身がパサパサしてそう」。そんなイメージがあるかもしれない。実際、記者もそんな疑念を抱きながら、鯉料理の代表格である「洗い」を初めて口にしてみたところ、泥臭さなどはなく、あっさりした味わいだった。
鯉の産地と言えば、ブランド鯉で有名な長野県佐久市や山形県米沢市を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、養殖鯉の生産量に関して、市町村別で全国1位を誇るのが福島県郡山市なのである。2015年度の生産量は895トンに上り、福島全体の約8割を占めている。
なぜ郡山なのか。実は郡山と鯉は切っても切り離せない歴史的なつながりがあったのだ。
郡山を変えた大事業
郡山市の中心部にある開成山公園。憩いの場として市民から親しまれているこの場所にひと際目立つ石塔が建っている。かつてこの地を開拓した者たちの偉業を称えるモニュメントで、塔の下にはいくつかの人物像が配置されている。その1人が大久保利通である。
大久保は言わずと知れた明治維新の功労者であり、日本の近代化を推し進めた人物である。彼が取り組んだ改革は数知れないが、その1つに「安積(あさか)疏水」という事業がある。
元々、郡山エリアは地理的に水がほとんどない丘陵地帯であり、荒廃した原野が広がっていた。江戸時代末期には宿場町として栄えたものの、当然、農業などできる土壌ではないため、決して豊かな町ではなかった。
転機となったのが明治維新だ。新政府主導による国費を使った開墾事業の第1号案件として郡山が選ばれた。それが「安積開拓」である。失業した士族に働く場所を提供するとともに、この地に新しい産業を作るという狙いの下、会津地方にある猪苗代湖から奥羽山脈を超えて水を引くという大規模なプロジェクトが1879年にスタート。総工費40万7000円(現在の貨幣価値に換算して約400億円)、のべ85万人の労働力を投じて、3年後に総延長127キロメートルにおよぶ安積疏水は完成した。
これによって不毛の地は活力を得て、郡山で米作りが始まった。さらに疏水を利用した水力発電所が建設されるなどして、製糸業や紡績業といった工業も発展した。それらの産業が礎となって、今では東北地方で仙台市、いわき市に次いで人口の多い、約33万4000人(17年10月現在)の都市まで育ったのである。
【訂正:2017年10月17日11時35分更新】初出で都市人口の順位が誤っておりました。「仙台市、いわき市に次いで」と訂正します。
関連記事
- 世界が注目する東北の小さな町のイチゴ革命
東日本大震災によって大きな被害があった宮城県山元町。この地で作られているイチゴが今、国内外から注目を集めている。「ミガキイチゴ」という商品ブランドを立ち上げた岩佐大輝さんの挑戦に迫る。 - 佐藤可士和氏が語る、地方発ブランドの成功条件とは?
今治のタオル産業の復活を目指し、2006年にスタートした「今治タオルプロジェクト」。そのブランディングにかかわるクリエイティブディレクターの佐藤可士和氏に、地方発ブランドが成功するための条件などを聞いた。 - 路面電車を残した地方都市の共通点
クルマ移動が主流となって以降、中心部が空洞化した地方都市は多い。しかし一方で、依然として中心市街地が存在感を維持している街もないわけではない。共通するポイントは「路面電車」の存在である。 - 南三陸町で躍動する小さな会社の大きな挑戦
宮城県南三陸町で65年以上も前から鮮魚店を運営するヤマウチ。現在はECなど事業の幅を広げている同社だが、東日本大震災で店や事務所、工場はすべて壊され、ゼロからのスタートを余儀なくされた。しかしその経験で社員の仕事に対する価値観は大きく変わった。 - 市長が語る、「アジアのリーダー都市」を目指す福岡市の現在地
古くから日本の玄関口として海外との交流が盛んだった福岡。そして今、ビジネスや文化などの面から「アジアのゲートウェイ」としての存在感が高まっているのだ。本連載では「福岡×アジア」をテーマに、それにかかわるキーパーソンの声を聞いていく。第1回は高島宗一郎 福岡市長だ。
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.