市役所に「鯉係」も 郡山が鯉の普及に躍起になる理由:再び食卓に(3/3 ページ)
市町村別で日本一の鯉の生産量を誇る福島県郡山市。かつては地元にも食文化として根付いていたが、今では一般家庭で調理する機会はほぼないという。そうした郡山に再び鯉を定着させようとする取り組みが始まった。
鯉係の役目
「郡山を鯉の町に!」
品川萬里郡山市長の大号令とともに、2015年、郡山市役所の農林部 園芸畜産振興課に「鯉係」という部署が新設された。背景にあるのは、再び郡山の食文化として鯉を定着させること、そして東日本大震災によってダメージを受けた鯉の生産者を活気付けたいことなどだ。
鯉係長を務める若穂囲豊氏は「震災後いくつかの生産者は会社を畳み、今では市内に数えるほどしか鯉を養殖する会社はない」と話す。さらに事業の後継ぎ問題などもあって、この先ますます厳しい状況になるのは目に見えている。そうした危機感の中、宮城県仙台市の牛タンや、栃木県宇都宮市のギョーザのように、県内外の多くの人たちが「郡山と言えば鯉」と想起するような名産にするのが鯉係の役目だとする。
現在は市内の飲食店で鯉を使ったメニューを増やしたり、学校給食で鯉を提供したりと、鯉の普及活動に力を入れている。また、郡山市と県南鯉養殖漁業協同組合が取り組む「鯉に恋する郡山プロジェクト(鯉6次産業化プロジェクト)」にキリンビールマーケティングが助成金を出すなど、産業育成に対する企業の支援も集まっている。
今後の課題は市民や観光客をどう巻き込んでいくかである。そのお手本になるのが「郡山ブランド野菜」だ。先述したように、郡山の農業は歴史的に稲作中心だったが、米の産地として新潟をはじめ他の地域が台頭するにつれ、郡山の米はブランド力を失っていく。
この状況から抜け出すため、2003年に若手の農家が中心となって郡山のブランド野菜作りが始まった。実はニンジンやカボチャ、タマネギなどの野菜には数十、数百もの品種がある。その中から野菜が持つおいしさや栄養価、郡山の土壌に合ったものを選び、新たなブランドになるような品種を「郡山ブランド野菜」として毎年1つずつ選定、育てているのだ。現在までに「御前人参」や「おんでんかぼちゃ」など13種類の野菜がブランド化されている。
当初この取り組みはあくまで地元だけでの浸透を目的にしていたそうだが、徐々にこの郡山ブランド野菜の魅力が広まり、市外や県外から郡山に買い求めに来る人が出てきて、今では東京の都心部で開かれるマルシェなどでも人気なのだという。
郡山の鯉は消費者ニーズなどの事情から首都圏のスーパーへほぼ流通しておらず、郡山へ訪れないと食べることはなかなか難しい。だから希少価値があるという見方もできるが、その一方で広くアピールするための足かせでもあるのだ。
この鯉の取り組みが一過性で終わってしまうかどうか。そうなれば、地方の各地でよく目にする町おこしの失敗例として名を残すだけ。楽に進んでいける道が続いているとは言い難いが、地場の産業を絶やさないためにも、確固たる成果を生み出すことを期待したい。
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