「うなぎパイ」の会社が和菓子に力を入れる特別な事情:社運を懸けた大変革(5/5 ページ)
年間8000万本も生産される「うなぎパイ」は、静岡・浜松を代表するお土産品だ。この菓子メーカーである春華堂が数年前から和菓子に力を注いでいる。その理由とは――。
世界中から浜松に
海外での成果は国内での販売活動にも好影響をもたらした。16年4月に百貨店「松屋銀座」に五穀屋を出店すると、若い女性客の心をつかんだのである。
これまで松屋の客層は50〜60代が中心であり、同百貨店としても20〜30代を取り込みたいという課題があった。五穀屋のブランドだったら若い世代にアピールできるのではと松屋から声を掛けられたそうだが、その期待通り、和菓子のフロアで他の店舗がいまだ50〜60代の顧客が多い中、五穀屋は20〜30代が15%を超えているという。これは洋菓子店舗並みの数字である。
こうした取り組みが実を結び、16年度の和菓子部門の利益は黒字化に。加えて、今まで長きにわたって春華堂の売上高全体の約9割がうなぎパイだったが、現在では8割強になるほど、和菓子の売り上げが着実に伸びているのだ。
今後のビジネス展開について、山崎社長は海外に出店したいという夢を明かす。そのためにまだ国内でも足場を固める必要はあるものの、5年先、10年先ではなく、もっと早いタイミングで出店できればという。
そしてまた、海外で五穀屋のブランドが認知されることで、世界中から浜松に人がやって来るきっかけ作りになればいいと考える。「海外で食べた和菓子を日本でも食べたいと、一人でも多くの人が日本さらには浜松に足を運んでくれたら、われわれの存在価値もより高まるだろうし、地域の活性化にもなるのではと思います」と山崎社長は意気込む。
すぐに成果は出ないだろうが、人々の記憶や印象に残るのは大事だと語る山崎社長。そのためにこれからもチャンスがあれば海外でのイベント出展などに果敢にチャレンジしていく。
浜松には「やらまいか」という方言がある。これは「やってみよう」「やってやろうじゃないか」という意味であり、浜松の人たちは新しいことに積極的に挑戦する精神を持っていることを示す言葉である。うなぎパイの大成功だけに決して満足せず、これまでにはなかった和菓子作りや海外展開などに打って出る春華堂は、まさにやらまいか精神を受け継ぐ企業と呼ぶにふさわしいだろう。
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