メルシャンが独自技術をライバルに教える理由:日本ワイン 140年の真価(1/3 ページ)
ワインメーカー大手のメルシャンの特徴は「オープン性」だ。画期的な取り組みをしたかと思えば、そこで得た知見や技術などをほかのワイナリーにも惜しみなく伝える。なぜそうしたことをするのだろうか。
都内からJR中央本線で松本方面に向かう途中、トンネルを抜けると甲府盆地が見渡せるポイントがある。その眼前にはブドウ畑が一面に広がる。日本有数のブドウ産地である山梨県甲州市勝沼町だ。
ブドウだけではない。全国にある約280のワイナリーのうち、1割が勝沼に集まっているのだ。中でも古くからこの土地に根ざし、日本のワイン市場をけん引してきた1社が、ワインメーカー大手のメルシャンである。
同社が勝沼に構えるワイナリー「シャトー・メルシャン」では、日本で栽培したブドウだけを使った純国産の「日本ワイン」を製造する。ここで仕込むブドウの量は毎年650トン前後、瓶に換算すると60万本程度(5万ケース)である。同社が契約するブドウ農家は、秋田、福島、長野など各地に広がり、自社でも畑を持つ。そこで甲州やシャルドネ、メルロー、カベルネ・ソーヴィニヨンなど、さまざまなブドウ品種を栽培しているのだ。
メルシャンという会社の大きな特徴は「オープン性」だろう。これまで誰もやらなかった画期的な取り組みをしたかと思えば、そこで得た知見や技術などをほかのワイナリーにも惜しみなく紹介する。1970年代から90年代にかけてそれを主導し、勝沼そして日本のワインのレベルを底上げするのに貢献したのが、故・浅井昭吾氏であることは前回の記事でも述べた。
浅井氏は「麻井宇介」というペンネームで、執筆活動にも積極的だった。ワイン造りの情熱や思想を自身の口からだけでなく、論文や書籍などでも伝えていったことで、より多くの人たちに影響を与えた。特に目をかけた若い造り手たちは、その後、日本のワイン業界に新風を吹き込むことになる。例えば、岡本英史氏(BEAU PAYSAGE)、城戸亜紀人氏(Kidoワイナリー)、曽我彰彦氏(小布施ワイナリー)らは「ウスケボーイズ」と呼ばれ、浅井氏の意志を受け継いでいる造り手だ。詳しくはノンフィクション小説「ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち」(小学館)に明るい。今、彼らのワインは飲みたくても入手が困難なほど人気だ。
そしてもう1人、メルシャンの中にも浅井氏の薫陶を受けた人物がいる。現在、シャトー・メルシャンで製造部長 チーフ・ワインメーカーを務める安蔵光弘氏だ。
かつて浅井氏が辛口の甲州ワインを造るために導入し、勝沼のワイナリーに広めたシュール・リー製法のように、近年、安蔵氏らが中心になって外部に技術を公開していったのが「甲州きいろ香」である。
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